[2012/09/18|新聞] 9/18高知新聞朝刊に掲載されました

▼SNSでシェアをしてやぶちゃんを応援しよう![?]

高知新聞記事…
…………………………
福島第一でメンタルケア薮原さん 「所員の自負と傷 伝えたい」

東日本大震災による事故の収束作業が今も続く東京電力福島第一原発。独自の自己修養法「わもん(話聞)」を提唱し、県内でも度々講演会を開いている人材育成コンサルタント、薮原秀樹さん(49)=大阪市=は昨年11月から毎月、同原発の免震重要棟に入り、無償で所員のメンタルケアをしている。事故後、陣頭指揮に当たった同原発の吉田昌郎・前所長とも心を通わせ、これまでに延べ250人の声を聞いたという。

■吉田前所長
「震災関連で自分にできることは、原発所員のメンタルケア」そう考えた薮原さんは、知人から東電関係者をたどり、吉田氏に会った。
昨年10月、福島県Jヴィレッジ。初対面の薮原さんと会うなり、吉田氏は自己紹介もせず話を続けた。
「熱狂的な阪神ファン」「東電をやめて坊主になりたいと思っている」。話は個人的なことから始まり、原発事故に及んだ。
「現場に突っ込んでいく部下を見て、法華経の中にある、菩薩(ぼさつ)が土の中から湧いてくるイメージと重なった。「東電は大嫌いだが人は大好きなんです」「津波が越えた防波堤の高さ、あれは国が認めんたんですよ」
吉田氏との面談は数時間。それを振り返り、薮原さんは言う。
「吉田所長を含め所員には『命懸けでできる限り事故を食い止めた』という自負があった。だが、結果として放射能を漏らし、安全神話は崩れた。『(吉田氏を)英雄扱いするな』といったネットの書き込みに傷ついていたんだと思う」
■身近な死

薮原さんは翌11月から毎月、免震重要棟に通うようになった。吉田氏は食道がんのため所長を退任したが、後任の高橋毅所長とも信頼感を築き、所員の話を聞くようになったという。
一人の所員はこんなことを語った。
「ある日、吉田さんにペンを渡され『残っている全員の名前をホワイトボードへ書いておけ』と。自分たちがここで死んで、10年、20年(誰も免震棟の)中に入れず骨で見つかったら、これが墓標になるんだな、と思った。その後、自分が何をしたか覚えていない。
「第一原発の中には、「死」という言葉が身近にあったという。ほかの所員からも生の声があふれた。
「母ちゃんが『東電のジャンパーをベランダに干せない』って」「『おやじが東電』と言えず、転校したこどもが苦しんでいる」「東電というとマンションを貸してもらえなかった」
所員たちの話を聞き取った薮原さんは「(所員は)被害者だが加害者。ニュースを見ると(精神的に)落ち込むから、見ない、と。そんな生の声を伝えたい」と話す。
吉田氏は7月末、脳出血で緊急手術を受けた。「吉田さんは現場復帰、それも福島第一原発にかかわる場所での復帰を望んでいる。事故が起きた場所に居合わせた者の責任として、福島に安心安全を
取り戻したいと思っている」
薮原さんが願うのは福島完全安全宣言。福島県民が家に戻り、安心して県産米を食べられること。「吉田さんも同じ気持ち。きっとその方法はあります」

◇23日 高知市で自己修養法「わもん」紹介
薮原さんは23日午後1時半から、高知市の県民文化ホールで「聞くライブ」と題した講演会を開く。前売り券は千円。高新プレイガイドなどで販売中。

コメントは受け付けていません。