The ex-chief of the Fukushima No. 1 nuclear power plant praises his subordinates who strove to contain the crisis in a video that will be aired at an upcoming event in the city of Fukushima.
Masao Yoshida, 57, describes the workers as “Buddhist saints in hell” and says he thought he could have died in the crisis and the “workers cooling the reactors at the plant could not leave the site.”
The 30-minute video will be shown with English subtitles at a symposium Aug. 11.
It is the first time Yoshida has detailed in public how he felt during the critical period following the March 11, 2011, start of the catastrophe.
Yoshida was relieved of his post in December to undergo treatment for esophageal cancer.
The video was recorded July 10 in a Tokyo hotel specifically for the symposium, according to the Nagano Prefecture publisher organizing the event.
At the start of the video, Yoshida apologizes to the people of Fukushima for “causing great trouble.”
He goes on to say that right after a hydrogen explosion ripped through one of the reactor buildings, workers “rushed to” the site.
He says he told subordinates to write their names on a whiteboard to let people know who “remained at the site until the last minute to fight” the disaster.
Tokyo Electric Power Co. has been criticized for allegedly proposing to the government early in the crisis that all workers at the plant be withdrawn due to safety concerns, but Yoshida denies making such a suggestion.
“Basically, I was thinking how to stabilize the power plant. I thought no one engaged in cooling the reactors could leave,” he says. “I never said a word about withdrawal to the head office.”
Yoshida says debris from an explosion in the reactor 3 building three days into the crisis flew into the building housing the control room where he was in command, and that he feared that an even worse catastrophe was in the offing.
月別アーカイブ: 2012年7月
2012年7月31日付 沖縄タイムス 時の人 「聞く」に徹し解決助ける
時の人
「聞く」に徹し解決助ける
福島原発前所長とビデオ対談を実現
薮原秀樹さん
東京電力福島第1原発の事故の陣頭指揮を執った吉田昌郎前所長とのビデオ対談を実現させた。「事故現場に飛び込んで行ってくれた部下は地獄の中の菩薩(菩薩)のようで、後ろ姿に手を合わせて感謝した」などと事故直後の心情を明かす吉田氏の言葉は生々しい。
吉田氏とは昨年10月に面会し、廃炉に向けた原発幹部職員のメンタルケアを無償で引き受けるなど、親交を深めてきた。幹部職員との面談などで、吉田氏が昨年12月に食道がんのために退任した後も部下からの信頼がとても厚いことを知った。
「事故処理に当たるスタッフのモチベーションを上げないと福島の復興も日本の未来もない。吉田氏に肉声でスタッフの頑張りを語ってもらうのが重要と企画しました」
徹底的に相手の話に耳を傾け、相手が自ら課題を解決していくのを待つ「わもん(話聞)」という独自のカウンセリング手法に、福島第1原発の高橋毅現所長も「(幹部たちは)人に言えないことを吐き出すことができて助かっている」と感謝する。
若いころから、自分が生まれた理由を考え続けてきた。政治家を目指し、国政選挙候補者を熱心に支援したこともある。物品販売業なども営みながら、自分が人を育成する技にたけていると知り、人材コンサルタントになった。
「被災者も十分に胸の内を吐露する場所が必要。そのお手伝いもしたい」。徳島県出身。49歳。ビデオ映像(約30分)は福島市で来月11日に開くシンポジウムで上映する。
出典:2012年7月31日付 沖縄タイムス 記事
■関連リンク
沖縄タイムス
www.okinawatimes.co.jp/
2012年夏の文屋座in福島 地球を包む「わもん」の輪
yablog.jp/8.11/
株式会社わもん
www.wamon.co.jp
No. 1 plant’s ex-chief lauds ‘saints in hell’ —Kyodo
Masao Yoshida, 57, describes the workers as “Buddhist saints in hell” and says he thought he could have died in the crisis and the “workers cooling the reactors at the plant could not leave the site.”
The 30-minute video will be shown with English subtitles at a symposium Aug. 11.
It is the first time Yoshida has detailed in public how he felt during the critical period following the March 11, 2011, start of the catastrophe.
Yoshida was relieved of his post in December to undergo treatment for esophageal cancer.
The video was recorded July 10 in a Tokyo hotel specifically for the symposium, according to the Nagano Prefecture publisher organizing the event.
At the start of the video, Yoshida apologizes to the people of Fukushima for “causing great trouble.”
He goes on to say that right after a hydrogen explosion ripped through one of the reactor buildings, workers “rushed to” the site.
He says he told subordinates to write their names on a whiteboard to let people know who “remained at the site until the last minute to fight” the disaster.
Tokyo Electric Power Co. has been criticized for allegedly proposing to the government early in the crisis that all workers at the plant be withdrawn due to safety concerns, but Yoshida denies making such a suggestion.
“Basically, I was thinking how to stabilize the power plant. I thought no one engaged in cooling the reactors could leave,” he says. “I never said a word about withdrawal to the head office.”
Yoshida says debris from an explosion in the reactor 3 building three days into the crisis flew into the building housing the control room where he was in command, and that he feared that an even worse catastrophe was in the offing.
Fw:山陽新聞にも《岡山えびすや: 森安兄》
ヤブロガーの皆様、おはようございます。
全国で何かが動き始めていますね。
山陽新聞の7月25日付の記事に今度のやぶちゃんの福島でのシンポジウム(8/11)の記事が出ています。
全国の皆さん、皆さんの地域の新聞はいかがですか?
岡山えびすや:森安兄
吉田所長が心情語る部下は「地獄の中の菩薩」 原発事故、撤退なく死を覚悟《千葉日報》
吉田所長が心情語る
部下は「地獄の中の菩薩」
原発事故、撤退なく死を覚悟
東京電力福島第1原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した
吉田昌郎前所長(57)写真が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジュムに、
ビデオ出演することが24日分かった。約30分にわたるビデオ映像で、危険を顧みず行動する部下たちを
「地獄の中の(ぼさつ)」と感謝の念に堪えなかったことや、「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と死を覚悟していたことなどを
生々しく明かしている。
吉田氏が事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」
その上で「私が昔から読んでいる法華経の中に登場する、地面から湧いて出る菩薩のイメージを、すさまじい地獄のような状態の中で感じた」と、
部下の後ろ姿に手を合わせて感謝していたという。
シンポジュウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、8月11日に開かれる。
吉田氏が療養中のため今月10日に都内でビデオを収録。原発事故処理を指揮する東電幹部のメンタルケアをし、
吉田氏と親交のある人材コンサルタント、薮原秀樹氏と対談する形で行われた。
ビデオ映像にはテロップも添えられ、薮原氏による「聞くことで支える『福島完全安全宣言』」と題した講演の後上映される。
≪解説≫
「もっと悪い事態あり得た」
東京電力福島第1原発の吉田昌郎前所長がビデオで語った言葉からは、事故後の危機的な状況下で自分や部下の死を強く意識したことが分かり、
もっと悪い事態になる可能性がある事故だったことを、あらためて思い知らされる。
福島第1原発では昨年3月12〜15日、水素爆発が3回相次いだ。吉田氏らは放射性物質を閉じ込める原子炉格納器が大きく破損する危機の崖っぷちに追い詰められた。
1基でも格納容器が大きく破損すれば、運転員の生命は危険にさらされ、全部の原子炉で作業が続けられなくなる。そうなれば、桁外れに大量の放射性物質が放出される。
国民には当時知らされなかったが、官邸中枢では、首都圏3千万人の避難につながると強く懸念した。
その後、懸命の努力で原子炉を冷やして破局を避けることができた。今では、事態がはるかに悪化する可能性があったことは忘れられがちだ。吉田氏の言葉は、
危機がいかに深刻だったかを示している。東電本店が全員撤退の意向を官邸に伝えていたか否かという論争よりも、原子炉で何が起き、いかに危機を脱したのか、
今も詳しくはわかっていない。吉田氏は、政府事故調の長時間の事情聴取に応じた。だが、思いが伝わっていないという。調査を全て非公開で行った政府事故調の在り方を、
問い直す必要がある。
『千葉日報7月25日(水)掲載記事引用』
「撤退できない」死を覚悟部下は「地獄の中の菩薩」 《東京新聞》
「撤退できない」死を覚悟
部下は「地獄の中の菩薩」
東京電力福島第一原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した
吉田昌郎前所長(57)写真が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジュムに、
ビデオ出演することが24日分かった。約30分にわたるビデオ映像で、吉田氏は危険を顧みず行動する部下たちを
「地獄の中の菩薩」に例えて感謝する気持ちを表現。また「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と語り、
死を覚悟していたことなどを生々しく明かしている。
吉田氏が事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
吉田氏は昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」と語る。
その上で「私が昔から読んでいる法華経の中に登場する、地面から湧いて出る菩薩のイメージを、すさまじい地獄のような状態の中で感じた」と、部下の後ろ姿に手を合わせて感謝していたという。
政府事故調などで、東電の全面撤退問題が議論になっているが「基本的に私が考えていたのは発電所をどうやって安定化させるかということ。現場で原子炉を冷却する作業をしている人間はもう撤退できないと思っていた。本店にも撤退ということは一言も言っていない」と言い切った。昨年三月十四日の3号機の水素爆発時は、げれきが飛んでくるなど「(指揮を執っていた)免震重要棟の人間は死んでもおかしくない状態だった」といい、「これからもう壊滅的に何かが起こっていくんじゃないか」と恐怖を感じたという。
シンポジュウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、八月十一日に開かれる。
吉田氏が療養中のため今月10日に都内でビデオを収録。原発事故処理を指揮する東電幹部のメンタルケアをし、吉田氏と親交のある
人材コンサルタント、薮原秀樹氏と対談する形で行われた。
『東京新聞7月25日(水)掲載記事引用』
事故直後、死を覚悟福島第1(前)所長 吉田氏、ビデオで心境《日本経済新聞》
事故直後、死を覚悟
福島第1(前)所長 吉田氏、ビデオで心境
東京電力福島第一原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した
吉田昌郎前所長(57)写真が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジュムに、
ビデオ出演することが24日分かった。事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
約30分にわたるビデオ映像で、「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と死を覚悟していたことなどを
明かしている。昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」
吉田氏は部下の後ろ姿に手を合わせて感謝していたという。
政府事故調などで、東電の全面撤退問題が議論になっているが「現場で原子炉を冷却する作業をしている人間は
もう撤退できないと思っていた。本店にも撤退ということは一言も言っていない」と言い切った。
3号機の水素爆発時は「これからもう壊滅的に何かが起こっていくんじゃないか」と恐怖を感じたという。
シンポジュウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、8月11日に開かれる。
吉田氏が療養中のため今月10日に都内でビデオを収録。原発事故処理を指揮する東電幹部のメンタルケアをし、
吉田氏と親交のある人材コンサルタント、薮原秀樹氏と対談する形で行われた。
『日本経済新聞7月25日(水)掲載記事引用』
「部下は地獄の中の菩薩」原発事故直後の心情 吉田(前)所長生々しく《産経新聞》
「部下は地獄の中の菩薩」
原発事故直後の心情 吉田(前)所長 生々しく
東京電力福島第一原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した
吉田昌郎前所長(57)写真が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジュムに、
ビデオ出演することが24日分かった。約30分にわたるビデオ映像で、吉田氏は危険を顧みず行動する部下たちを
「地獄の中の菩薩」と感謝の念に堪えなかったことや、「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と死を覚悟していたことなどを
生々しく明かしている。吉田氏が事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
吉田氏は昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」と語る。
その上で「私が昔から読んでいる法華経の中に登場する、地面から湧いて出る菩薩のイメージを、すさまじい地獄のような状態の中で感じた」と、感謝していたという。
政府事故調などで、東電の全面撤退問題が議論になっているが「基本的に私が考えていたのは発電所をどうやって安定化させるかということ。
現場で原子炉を冷却する作業をしている人間はもう撤退できないと思っていた。本店にも撤退ということは一言も言っていない」と言い切った。
シンポジュウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、8月11日に開かれる。
『産経新聞7月25日(水)掲載記事引用』
「部下は地獄の中の菩薩」福島原発 吉田前所長事故後の心情 初めて吐露《毎日新聞》
「部下は地獄の中の菩薩」
福島原発 吉田前所長事故後の心情 初めて吐露
東京電力福島第一原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した
吉田昌郎前所長(57)写真が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジュムに、
ビデオ出演することが24日分かった。約30分にわたるビデオ映像で、吉田氏は危険を顧みず行動する部下たちを
「地獄の中の菩薩」と感謝の念に堪えなかったことや、「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と死を覚悟していたことなどを
生々しく明かしている。吉田氏が事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
吉田氏は昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」と語る。
政府事故調などで、東電の全面撤退問題が議論になっているが「基本的に私が考えていたのは発電所をどうやって安定化させるかということ。
現場で原子炉を冷却する作業をしている人間はもう撤退できないと思っていた。本店にも撤退ということは一言も言っていない」と言い切った。
シンポジュウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、8月11日に開かれる。
『毎日新聞7月25日(水)掲載記事引用』
Fw:日本経済新聞に掲載されました。《Mr. くろちゃん》
本日(2012/7/25)の日本経済新聞に掲載されました。
8月11日にやぶちゃんが基調講演を務めるシンポジウム『地球を包む「わもん」の輪』。(2012年夏の文屋座in福島)、そのシンポジウムの目玉でもある福島第一原発、事故当時の所長で、現在病気療養中の吉田昌郎元所長のビデオインタビューの映像が流れます。
事故直後の心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
《Mr.くろちゃん》
Fw:聞くことで支える『福島完全安全宣言』《たから特派員》
たからちゃん、ありがとうございます(*^_^*)
あなたの街の新聞の写メ(一枚)やぶちゃんに送ってください(^^)v
お待ちしていま〜す(^O^)/
☆やぶちゃん☆
…………………………
【2012/7/25高知新聞】
あなたの街の新聞はいかがですか?
吉田前所長の記事、四国・高知新聞は、トップ記事です。
8・11聞くことで支える『福島安全宣言』に向けて…
《たから特派員》