2012/8/12 河北新報朝刊『福島第1・吉田前所長 ビデオで心境 福島爆発、がれき飛来 死覚悟事故調通さず情報発信』《サノトモ》

福島第1・吉田前所長 ビデオで心境 福島
爆発、がれき飛来 死覚悟

事故調通さず情報発信

福島第1原発事故で収束作業を陣頭指揮した吉田昌郎前所長(57)が当時の状況や心境を語るビデオ映像が11日、福島市で開かれた出版社主催の講演会で上映された。吉田氏は同原発1、3、4号機で起きた水素爆発について「当初、安否確認できないのが数十人いて、10人くらい死んだかもしれないと思った」と振り返った。

特に昨年3月14日に起きた3号機の水素爆発に関しては「あれだけ(大量)のがれきが(吉田氏らがいた)免震重要棟に飛んできて、自分も仲間も死ぬ、死んだっておかしくない状態だった」と明かした。
政府と東電の認識が対立している第1原発からの撤退問題については「(東電)本店に『撤退』とはひと言も言っていないし、思ってもいなかった」と強調。「われわれが離れて(炉心冷却の)注水ができなくなれば、もっとひどい放射能漏れになる。何とかして安定していた5、6号機も燃料が溶け、もっと放射能が出ていた。そうなると第2原発にも人が近づけなくなり、大参事になっていた」と語った。
高い放射線量の中で危険な作業を続けた同僚らには謝意を示した。名前を重要免震棟のホワイトボードに書かせたという。「現場に行ってヘロヘロになって戻り、睡眠も食事も不十分な中でまた現場に出向いた。最後まで残って闘ったのはどんな人たちか残しておきたかった」と説明した。
吉田氏は政府や国会の事故調査委員会の最終報告前は報道機関の取材や公の場での発言を控えてきた。「事故調を通すと肉声がなかなか届かない。今後はいろいろな形で発信し、経験を伝えていきたい」と述べた。
映像は7月上旬、人材コンサルタントとの対談形式で約30分間収録された。
吉田氏は健康診断で食道がんが見つかり昨年12月、所長を退任。先月下旬、脳出血で手術を受け入院した。現在は執行役員原子力・立地本部付となっている。

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