In an unusual postscript to the Fukushima Daiichi nuclear accident last year, the manager of the plant at the time — Masao Yoshida — has agreed to the release of a video in which he talks about what he was feeling during the thick of the crisis.
The video was originally produced for a symposium in Fukushima, the prefecture where the crippled plant is located, which has suffered the most contamination from the release of radiation. It was created by a human resources development consultant named Hideaki Yabuhara, who’d been providing volunteer counseling, once a month, for Mr. Yoshida and 250 other workers at the plant since October of last year.
The video, which was shown to a group of foreign journalists Monday, is remarkable in many ways. Counseling is rare in Japan, and admitting to receiving counseling even rarer. It’s also unusual for managers and executives to express personal feelings in public.
Mr. Yabuhara, who presented the video on Monday, said that some in Fukushima regarded counseling as a “frivolous” activity.
But in the video, Mr. Yoshida explained that “the human element has been lost” from the many investigative reports written about the accident, and that he and his colleagues needed to “find ways to properly convey the experience.”
In the 28 minute video letter, Mr. Yoshida stressed that his primary concern at the time of the accident was how to stabilize the reactors. In response to claims that Tepco wanted to pull everyone out of the site at one point, Mr. Yoshida said that he’d never considered such a thing, stating that “it was clear from the beginning that we couldn’t run” and that “nobody on the ground said anything about pulling out” of the site.
The 57-year-old, who retired from his post last December due to esophageal cancer, repeatedly expressed gratitude towards his co-workers for risking their lives and working under dire conditions. While Mr. Yoshida is often regarded as a hero for containing what could have been a greater disaster, in his video letter he repeatedly said that he himself had done nothing and that his workers were the ones to praise. Even though they hadn’t gotten enough sleep or food and “the level of radioactivity on the ground was terrible,” the workers at the plant pushed their physical limits and “leaped at the chance to go” to the reactors to try to fix the situation, Mr. Yoshida said in the video.
On the video, Mr. Yoshida also talked about how he feared he and his crew would all die, when hydrogen explosions were rocking the reactors. Since nobody died, Mr. Yoshida, a Buddhist, said he felt “the Buddha was looking out for us.”
Mr. Yoshida wasn’t present at Monday’s video presentation.
Mr. Yabuhara said the situation of the Fukushima Daiichi workers was particularly tough because they’re seen as villains — even thought they’re also victims of the disaster. The workers — many of whom lived in the area around the plant — suffered the same hardships as other victims, such as deaths in their families, loss of homes, or separation from families. Yet the widespread media and public condemnation of operator Tokyo Electric Power Co. meant that some workers felt ashamed to wear their Tepco jackets outside, while others covered up the Tepco signs on their trucks, Mr. Yabuhara said. In some cases, marriages were cancelled, he said. The workers also suffered a 30% reduction in salaries, and of course, no bonuses.
Mr. Yabuhara said it would not be at all strange for someone in such circumstances to show signs of depression and consider suicide. He reported that various workers have told him “We have no hope. There is no light in the future.”
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2012年08月13日・・・ニュースJAPAN
The Wall Street Journal(ニューヨーク)で8/13の外国人記者クラブでの会見の模様が紹介されました
jp.wsj.com/japanrealtime/blog/archives/13296
ニュースJAPAN 生出演【2012/08/13 】
吉田昌郎前所長にインタビューした薮原秀樹氏に話を聞きました。
福島第1原発の吉田昌郎前所長がビデオメッセージで、事故当時の状況を生々しく語りました。作業員延べ250人のメンタルケアを無償で行ってきた人材育成コンサルタント・薮原秀樹氏に、今回のインタビューについて聞きました。
2011年10月から、吉田前所長以下、
(吉田前所長と3度にわたり会われたということですが、インタビュー以外で吉田前所長と話して印象的だったところは?)大阪育ちですので、大阪弁でやり取りができたんですけども、本当に表裏がなくてですね、立派な指揮官だなという印象があります。それとですね、私『わもん』というコミュニケーションの手法で、吉田所長の了解をいただいて、福島第1原発重要免震棟に入れていただいたんですが、一番最初に申し上げたいのは、私は原発賛成・反対、そのどちらの位置でもなくてですね、エンドポイントを吉田所長と話し合って、『福島完全安全宣言』というところに置かせていただいております。
吉田所長はですね、大阪出身の方なんですね。私も徳島生まれ、
(インタビューも撮られたということですが、インタビューの中で吉田所長が一番訴えたかったことは?)今回の福島でのビデオの中でもおっしゃっているんですが、肉声がどうしても届かないと。現場の声が、どうしても届かないということをおっしゃっておられます。
事故調のインタビューに、ずいぶん多く答えておられるんですが、
(作業員の方とも2011年10月から、定期的にメンタルケアをされているということですが、そういった作業されている方たちの声というのは?)毎月延べ250人ほどの方にお話を聞いてきたんですけどね、心中はすごく複雑です。自分たちがいったん被害を受けて、加害者になっている。今もう世論はですね、東電に対していろんなご意見があるので、悪いなあと思っているんですけど、自分たちも家が流されたり、お身内がいなくなったりですね、そんなところがあるので、非常に皆さん、複雑な思いを抱えておられます。
10カ月にわたり、
(具体的にエピソードで聞かれたことは?)まず奥様が洗濯物を干すときに、東電のジャンパーをベランダに干すことができないので、部屋干しをしているとか。異業種交流会に参加できないので、名刺の数が減ることがなくなったとか、そういったお声をよく聞いております。
多くの方がおっしゃっておられますのは、
(事故当時からお話を伺っていると思いますが、変化は感じますか?)この重要免震棟で支えなければいけないということで、モチベーションが高かったんですが、このメディアに登場して、こんなことを言うのも変な話なんですが、心ないネットの書き込み、いろんな風潮等で、ずいぶんとメンタルが、私が入る10月のころには、下がっておられる方がたくさんいらっしゃいました。
事故当時は何とか自分たちが命を懸けて、
(現場の方から厚い信頼を受けている吉田前所長ですが、2011年11月に食道がんを患われて、今は所長を退いています。最近の様子はいかがですか? 復帰については?)ご本人は『戻る意思がある』ということをおっしゃって、強くおっしゃっておられました。今はどうかわかりませんが、7月10日の段階では、そのようにおっしゃっておられました。
7月10日にビデオ撮影させていただいた時に聞いた話ですが、
(現場もかなりそれを望んでいる?)
望んでいると思いますね。
(かなり信頼厚いと感じましたか?)
ものすごく、いい指揮官だと思います。
2012/8/12 河北新報朝刊『福島第1・吉田前所長 ビデオで心境 福島爆発、がれき飛来 死覚悟事故調通さず情報発信』《サノトモ》
福島第1・吉田前所長 ビデオで心境 福島
爆発、がれき飛来 死覚悟
事故調通さず情報発信
福島第1原発事故で収束作業を陣頭指揮した吉田昌郎前所長(57)が当時の状況や心境を語るビデオ映像が11日、福島市で開かれた出版社主催の講演会で上映された。吉田氏は同原発1、3、4号機で起きた水素爆発について「当初、安否確認できないのが数十人いて、10人くらい死んだかもしれないと思った」と振り返った。
特に昨年3月14日に起きた3号機の水素爆発に関しては「あれだけ(大量)のがれきが(吉田氏らがいた)免震重要棟に飛んできて、自分も仲間も死ぬ、死んだっておかしくない状態だった」と明かした。は「(東電)本店に『撤退』とはひと言も言っていないし、思ってもいなかった」と強調。「われわれが離れて(炉心冷却の)注水ができなくなれば、もっとひどい放射能漏れになる。何とかして安定していた5、6号機も燃料が溶け、もっと放射能が出ていた。そうなると第2原発にも人が近づけなくなり、大参事になっていた」と語った。名前を重要免震棟のホワイトボードに書かせたという。「現場に行ってヘロヘロになって戻り、睡眠も食事も不十分な中でまた現場に出向いた。最後まで残って闘ったのはどんな人たちか残しておきたかった」と説明した。材や公の場での発言を控えてきた。「事故調を通すと肉声がなかなか届かない。今後はいろいろな形で発信し、経験を伝えていきたい」と述べた。人材コンサルタントとの対談形式で約30分間収録された。先月下旬、脳出血で手術を受け入院した。現在は執行役員原子力・立地本部付となっている。
政府と東電の認識が対立している第1原発からの撤退問題について
高い放射線量の中で危険な作業を続けた同僚らには謝意を示した。
吉田氏は政府や国会の事故調査委員会の最終報告前は報道機関の取
映像は7月上旬、
吉田氏は健康診断で食道がんが見つかり昨年12月、所長を退任。
明日(8/13)23:40 〜フジテレビ『ニュースJAPAN 』生出演します
ニュースJAPAN!
お楽しみに(^^)v
2012.8.12信濃毎日新聞記事( 長野県)『吉田前福島第1 原発所長映像復興テーマ講演会で上映 福島』《高野コーチ》
吉田前福島第1原発所長映像氏(57)が「部下は地獄の中の菩薩だった」などと心情を語ったビデオ映像が11日、「福島の復興・日本の未来」をテーマに福島市で開催された講演会で上映された。有料の事前登録をした約140人が集まった。私どもの発電所の事故で本当にご迷惑をお掛けしている」と謝罪。その上で「部下には地面から菩薩が湧く地湧(じゆ)菩薩のイメージを地獄のような状態の中で感じた」「今後は現場で一緒になった仲間の経験も伝えていきたい」などと語った。事故直後から第1原発で働く身内がいる。胸のつかえが取れた感じ」。別の女性は「事故処理をする人たちの上に私たちの生活がある。そういう人たちが報われる社会にしたい」と話した。文屋が出版した本の著者で吉田氏と親交のある人材コンサルタント薮原秀樹氏を通して実現。吉田氏は食道がんの療養で講演会に出席できないため、先月10日に東京都内で薮原氏がインタビューする形で収録された。原発職員の心が健康になれば廃炉に向けた作業スピードがアップする」と語った。
復興テーマ講演会で上映 福島
東京電力福島第1原発の事故処理を陣頭指揮した前所長の吉田昌郎
上高井郡小布施町の出版社「文屋」の主催で、
吉田氏はビデオの冒頭、「
ビデオ上映後の意見交換で、福島県南相馬市の女性は「
吉田氏のビデオ出演は、
薮原氏はビデオ上映後の講演で「
2012年8月12日 信濃毎日新聞
2012.8.12 日経新聞朝刊「部下は地獄の中の菩薩」《くろちゃん》
「部下は地獄の中の菩薩」前所長(57)が「部下は地獄の中の菩薩(ぼさつ)だった」などと心情を語っをテーマに福島市で開催された講演会で上映された。有料の事前登録をした約140人が集まった。私どもの発電所の事故で本当にご迷惑をお掛けしている」と謝罪。部下には地面から菩薩が湧くイメージを地獄のような状態の中で感じた」「今後は現揚で一緒になった仲間の経験も伝えていきたい」な事故直後から第1原発で働く身内がいる。胸のつかえが取れた感じ」。別の女性は「事故処理をそういう人たちが報われる社会にしたい」と話した。前所長と親交のある人材コンサルタント、薮原秀樹氏を通して実現。前所長は食道がん先月10日に東京都内で薮原氏がインタビューする形で収録された。薮原氏はビデオ上映後の講演で「原発職員の心が健康になれば廃炉
福島革?前所房事故時の心情語る
東京電力福島第1原子力発電所の事故処理を陣頭指揮した吉田昌郎
たビデオ映像が11日、「福島の復興・日本の未来」
長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、
吉田前所長はビデオの冒頭「
その上で「
どと語った。
上映後の意見交換で、福島県南相馬市の女性は「
する人たちの上に私たちの生活がある。
吉田前所長のビデオ出演は、文屋が出版した本の著者で、
の療養で講演会に出席できないため、
に向けた作業スピードがアップする」と語った。
【発言の要旨】ビデオ映像で語った発言の要旨は次の通り。深くおわび申し上げたい。私が考えていたのは発電所の安定化。原子炉を冷やす作業をしている人間は撤退できないと思っていた。本逃ばられないというのは最初からあった。じゆ)菩薩のイメージを、地獄のような状態の中で感じた。私はその後ろ姿に感破滅的に何か起こってくんじゃないかと感じた。私を含む免震重要棟の人間は死んでいてもおかしくなかった。免震棟に残っているメンバーの名前をホワイトボードに書いておくようにと部下に指示したとされるが)最後まで残って闘ったのはこんな人間現揚のために力を出したい。
東京電力福島第1原発前所長の吉田昌郎氏が11日、
私どもの発電所の事故で、本当にご迷惑をお掛けしている。
(撤退問題が論議になっているが)
店にも撤退ということは一言も言っていない。
現場に飛び込んで行ってくれた部下に、地面から菩薩が湧く地湧(
謝して手を合わせていた。
3号機の水素爆発後は、
(
だぞってのを残しておきたかったのだと思う。
今後は一緒になった仲間の経験も伝えたい。体力が戻ったら、
毎日jp《ヤブログ:2012夏の文屋座in福島》
mainichi.jp/select/news/20120812k0000m040027000c.html
福島第1原発:吉田所長 ビデオでの発言全文
毎日新聞 2012年08月11日 19時21分
吉田昌郎・福島第1原発前所長のビデオでの発言全文は次の通り。
◆しゃべりだすととまらないが、
◆覚悟というほどの覚悟があったかはよくわからないが、結局、
◆私は何もしていない。私のとりえは福島第1原発に4回、
◆そうだ。やはり知らない間じゃないということだ。
◆今回一番インパクトがあったのは1号機もそうだが、
◆ほとんどその時のことを思い出せないが、たぶん、
◆いずれにしても今回の事象は、いろいろ国会とか政府事故調、
◆そういう次元の高い話になると今すぐに答えがないが、
毎日jp《ヤブログ:2012夏の文屋座in福島》
mainichi.jp/select/news/20120812k0000m040026000c.html
福島第1原発:吉田前所長 シンポジウムにビデオ出演
毎日新聞 2012年08月11日 19時15分
東京電力福島第1原発事故で、収束作業の陣頭指揮を執った吉田昌郎前所長(57)=現在は本店原子力・立地本部付=が11日、福島市であったシンポジウムにビデオ出演した。吉田氏は「事故で一番インパクトがあったのは3号機の水素爆発(昨年3月14日)だった」と振り返り、「自分も含めて死んでもおかしくない状態だった。(爆発で)10人ぐらいは死んだかもしれないと思った」と述べた。吉田氏が退任後に事故時の心境を語るのは初めて。自分が話すことはルール違反と思っていた」と、インタビュービデオを公開した理由を説明。今後の課題については「事故の責任問題もきちっとやるべきだが、第1原発を安定化させることがベースになる」と強調した。「本店と官邸との間の騒ぎで、現場では絶対に一言も言っていない」と断言。「もし現場を離れれば、5、6号機もメルト(ダウン)し、燃料が溶ける。福島第2原発も人が近づけなくなり、大惨事になる。そこまで考えれば当然(第1原発からは)逃げられない」と述べた。
吉田氏は冒頭、「政府などの事故調査委員会が一段落するまで、
東電が第1原発から全面撤退を検討したとされる問題については、