Fw:わもん塾小布施・浄光寺 その21 【 20 10/08/21 】≪ヤブログ特派員:YMC Aコーチ・高野≫

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【2010/08/21 わもん塾小布施・浄光寺in長野】 その21

「これは私の尊敬する本間正人さんという方から教えていただきました。

この三角形の頂点が頭、そしてその下に心があります。

さらにその下に、心からあふれ出た潜在化の意識、

日頃は忘れているけど、ゆっくり思いだすと思いだせる意識があります。

もしかすると、あの人がいるから自分がいらだつとか、

こんな状況になると寂しさが出てくるとかいうことがみなさんあって、

私がずっと聞きこんでいくとここの音叉が、

例えば嫉妬心であったり、執着であったり、恨みであったり、

許さないであったり、不安であったり、心配であったりします。

あるいは「おまえはできない子だねえ、できない子だねえ」って

ずうっと否定され続けていた思いであったりします。

そんな音叉が煩悩の数、108カテゴリは入っているのではないかなと思っています。

例えば、私の周りにいるみんな全員が急に立ち上がってひそひそ話をし始めると、

大昔にいじめられた記憶がうわっと出てきて、突然不安感が出てきたとします。

その場合、その現象が原因なのではなくて、実は未解決の過去の何かが

原因なのではないかなあと自分では思っています。

「聞く修行」というのは、この中にある一つ一つの自分の中の未解決案件を、

一鍬一鍬、音叉が揺れないように、その状況があっても揺れないように、

ピタッと止まるように、自分が責められても揺れないように、

寂しくなっても揺れないようにすることなんです。

それが「話聞すなわち心の開拓」、そして「すなわち悟り」という

住職の言葉としていただきました。

悟りというのは一足飛びに来るのではなくて、一つ悟る、一つ悟る、一つ悟る

ということも教えていただきました。

自分の中で、もしいらだっていること、未解決案件があるとすると、

それは人のせいとか、環境のせいとか、不景気のせいではなくて、

自分の中のどこかに要因があるのではないかと。

もしくはもって生まれた業があって、それを解決するためにあるのではないかと

自分の中では位置付けております」

≪ヤブログ特派員:YMCAコーチ・高野≫

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