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震災から1年半 福島第一原発・吉田所長が伝えたかったこと

どんなメディアの取材にも応じなかった吉田氏が、初めてビデオ・ インタビューに
応じた。体当た りで実現させた仕掛人が、全ての経緯と会見内容を明かす。

日頃は京都を拠点に、企業や自治体のコンサルタントとして全国を飛び回って
います。 3.11のあの時は東京の町田にいました。いままで体験したことのない激しく長い横揺れのなかで考 えていたのは、「これは相当な被害が出る。 自分がお役に立てるとすれば何だろうか」とういうこ とでした。阪神淡路大震災の時にはすぐボランティアセンターを立ち上げて、 2ヵ月間やらせても らった経験があります。しかし今やそういう活動はかなり組織化されていますから、 たくさんの人 が集まるはず。今度は自分はなにをすべきか。自分が1人で身体を入れさせてもらうとすれば、 そ れはどこだろうか。 そうこうしているうちに、福島第一原発で爆発が起きた。枝野さんや菅さんの会見を見ながら、ピ ンと来ました。これは現場の声がまったく届いていない。 現場は命がけで必死に闘っているはず。 しかしこの官邸や原子力委員会や東電本店の対応は何だ。 誰かが現場の人たちのメンタルを支えな ければならない。現場を取り仕切る吉田昌郎所長に会って感謝の気持ちを伝え、 励まし、支える。 それが自分の仕事じゃないか。根拠のない自信と言われればそのとおり。「変な奴」 と思われるの は承知の上ですが、自分のなかの思いは確信に近いものでした。 それからはもう一目散です。とにかく自分が使えるかぎりの伝手を辿って、 福島第一原発に入り、 吉田所長に会う。それを目標に行動を起こしました。 まず勇気を振り絞って電話をしたのが、当時財務大臣だった野田さんです。 野田さんとは15年ほど 前から親交があり、最も頼りにできる政治家でした。 財務大臣という畑違いの立場ではあっても、 何か力になってもらえるのではないか。「先輩、 私を福島第一原発の免震重要棟に入れてくださ い」。意図は説明しましたが、 いきなりのことで分かってもらえなかったようで、「うーん、 薮 ちゃん、秩序があるからそれは無理だ」。 次に考えたのが某商社。新聞記事でそこがJヴィレッジに食料や備品を届けているという記 述を見つ けて、以前仕事をしたことのある子会社の社長に掛け合ってみました。 「トラックの荷台に載せて運んでもらうだけていいんです」「気持ちは分かるけど、無理」。 社長 からは重機を入れている建設会社も紹介してもらいましたが、これもダメ。 あっという間に3月が過ぎて、レベル7の実態が少しずつ明らかになっていく。 こちらは焦るばかりです。何かルートはないかと思案しているうちに、 以前に選挙を手伝った地方 政治家が東電出身だったことを思い出した。そうだ、周辺じゃなくて東電内部ゲートを探そう。「 最初で最後のお願いだ。誰か吉田所長に近い人を紹介して下さい」 と頼み込みました。 その方の尽力で、7月に入ってようやく元幹部の方と会えることになった。 「免震重要棟ねえ。自衛隊の産業医も入っているし、事故調も入っているから……」。 要するに「間に合っているから帰ってくれ」ということですね。それはそうでしょう。 こんなどこの馬の骨とも分からないから奴が来たわけだから。 でも私は私利私欲ではないことと、自分の聞き方の技術、メンタルケアの技術については自信があ りました。実演を交えながら、こちらの真意をお伝えすると、「 確かにあなたのような人が必要か もしれない」と理解してもらえた。 ただ、この方は吉田所長とそれほど近くなかったので、より近い方を紹介してもらい、また同じよ うなやりとりがあって、ようやく「吉田に会わせます。いや、会わせたい」 という言葉をもらうこ とができた。それが去年の8月のことです。 「吉田が会うといっています。Jヴィレッジでお待ちしています」というメールを頂戴したのは9月 に入ってから。しかも「3時間会います。夜はJヴィレッジに御宿泊を」。 これには驚きました。

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