Fw:わもんな言葉23-聴和坐《わもん黒帯初段: サノトモ》 Posted on 2013年1月15日 by サイト管理者 ▼SNSでシェアをしてやぶちゃんを応援しよう![?] 先日、「聴和坐」という、本間先生&やぶちゃんのコラボ勉強会に参加してきました。 申し込み時点では、「聴和坐」という名前だけがホームページに出ていただけで、どんなことをするのか、何をするのか、ということは載っていませんでしたが、予定が空いていたこともあり、すぐに申し込みをしました。 本間先生とやぶちゃんがそろっていれば、面白くないわけがない、というのが大きな理由ですが、「聴和坐」という名前にも魅かれて。 「聴和坐」の名前を聞いて(見て)思ったことは、当然のことながら「調和」という言葉の「ちょう」を、「聴く」の「聴」とかけている、ということ。 「調和」と「聞く」。 最近、『論語』をはじめとする儒教の四書を読んでいて、その四書のひとつ『中庸』が頭に残っていましたし、わもん黒帯二段の試験(?)として、1:Nの二人羽織わもんというものがあり、ファシリテーション・場づくりのことも考えていました。 そんなときに「調和」という言葉が目に入ります。 その場の調和を取れるようになれば、その場の中庸を取れるようになれば、ファシリテーションは上手くいくかも、と感じます。 また、「聴和坐(ちょうわざ)」から「超技」も思いつきます。 技を超えるもの。 「技を超えるもの」というのは、技でないわけではありません。 「超スピード」というのは、ものすごく速いスピードというような意味で、スピードの一種。 ならば、「超技」というのは「ものすごい技」です。 さらには、「聴和坐」の「わ」は「話」とも置き換えられる、というのもありました。 これらのことから「聴和坐」は、ファシリテーションのものすごい技を体感できるのではないか。 スーパーファシリテーションの勉強会だ、と勝手に想像。 その後、「聴和坐」の概要が公開され、上記想像は変更となりましたけれども(笑) しかし、当たらずとも遠からず(?)、実際に参加した「聴和坐」のなかで、このような名前になった理由が述べられました。 そして後半には、「バタフライ効果」という言葉が出てきて、「蝶」の「業」、「バタフライミッション」という言葉が誕生! 「ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスで台風となる」 現在の社会は複雑になっています。 複雑系においては、無視できるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となるかもしれません。 ひとりひとりの羽ばたきが大きな力となるかもしれない。 個人の働きが、個人を超えて、地球全体への働きとなるかもしれない。 「聴和坐」は自分の想像を「超えた」勉強会。 私自身にとっては、英語を学校で習い始めたときから、もともと「言葉」に興味があり、大学では「言語学」を勉強し、そのかたわらで「複雑系」のことにも興味を持っていた時期があり本をいろいろと読み漁っていました。 そのころに『論語』も読みはじめています。 そして、仕事上で「コーチング」のことを知り、本間先生の本を読み、本間先生のツイッターから「笑顔のコーチング」のことを知り、「笑顔のコーチング」で「切磋琢磨」という言葉の語源が『大学』という書物にあることをしり、四書五経に興味を持ち、最近では『孟子』を読んでいたりしています。 また本間先生のツイッターからやぶちゃんのことを知り、「わもん」も知りました。 今まで興味を持っていたことが次々とつながっていき、ハーモニー(調和)となっていったような、そんな感じがしました。 《わもん黒帯初段:サノトモ》
Fw:わもんな言葉23-聴和坐《わもん黒帯初段: サノトモ》
先日、「聴和坐」という、本間先生&やぶちゃんのコラボ勉強会に参加してきました。
申し込み時点では、「聴和坐」という名前だけがホームページに出ていただけで、どんなことをするのか、何をするのか、ということは載っていませんでしたが、予定が空いていたこともあり、すぐに申し込みをしました。
本間先生とやぶちゃんがそろっていれば、面白くないわけがない、というのが大きな理由ですが、「聴和坐」という名前にも魅かれて。
「聴和坐」の名前を聞いて(見て)思ったことは、当然のことながら「調和」という言葉の「ちょう」を、「聴く」の「聴」とかけている、ということ。
「調和」と「聞く」。
最近、『論語』をはじめとする儒教の四書を読んでいて、その四書のひとつ『中庸』が頭に残っていましたし、わもん黒帯二段の試験(?)として、1:Nの二人羽織わもんというものがあり、ファシリテーション・場づくりのことも考えていました。
そんなときに「調和」という言葉が目に入ります。
その場の調和を取れるようになれば、その場の中庸を取れるようになれば、ファシリテーションは上手くいくかも、と感じます。
また、「聴和坐(ちょうわざ)」から「超技」も思いつきます。
技を超えるもの。
「技を超えるもの」というのは、技でないわけではありません。
「超スピード」というのは、ものすごく速いスピードというような意味で、スピードの一種。
ならば、「超技」というのは「ものすごい技」です。
さらには、「聴和坐」の「わ」は「話」とも置き換えられる、というのもありました。
これらのことから「聴和坐」は、ファシリテーションのものすごい技を体感できるのではないか。
スーパーファシリテーションの勉強会だ、と勝手に想像。
その後、「聴和坐」の概要が公開され、上記想像は変更となりましたけれども(笑)
しかし、当たらずとも遠からず(?)、実際に参加した「聴和坐」のなかで、このような名前になった理由が述べられました。
そして後半には、「バタフライ効果」という言葉が出てきて、「蝶」の「業」、「バタフライミッション」という言葉が誕生!
「ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスで台風となる」
現在の社会は複雑になっています。
複雑系においては、無視できるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となるかもしれません。
ひとりひとりの羽ばたきが大きな力となるかもしれない。
個人の働きが、個人を超えて、地球全体への働きとなるかもしれない。
「聴和坐」は自分の想像を「超えた」勉強会。
私自身にとっては、英語を学校で習い始めたときから、もともと「言葉」に興味があり、大学では「言語学」を勉強し、そのかたわらで「複雑系」のことにも興味を持っていた時期があり本をいろいろと読み漁っていました。
そのころに『論語』も読みはじめています。
そして、仕事上で「コーチング」のことを知り、本間先生の本を読み、本間先生のツイッターから「笑顔のコーチング」のことを知り、「笑顔のコーチング」で「切磋琢磨」という言葉の語源が『大学』という書物にあることをしり、四書五経に興味を持ち、最近では『孟子』を読んでいたりしています。
また本間先生のツイッターからやぶちゃんのことを知り、「わもん」も知りました。
今まで興味を持っていたことが次々とつながっていき、ハーモニー(調和)となっていったような、そんな感じがしました。
《わもん黒帯初段:サノトモ》