Fw:わもんな言葉28−枠を外せばワクワクする《わもん黒帯初段 :サノトモ》 Posted on 2013年2月10日 by やぶちゃん ▼SNSでシェアをしてやぶちゃんを応援しよう![?] 最近、思い出した話があります。 北村薫さんの『謎物語』に掲載されている話です。 “ テレビで、ディズニーのアニメをやっていた。子供が見ている。 犬のプルートが、りすのチップとディールを追いかけ、せっかくのクリスマスツリーを倒してしまう。ミッキーがおなじみのかん高い声で叱る。 ――駄目じゃないかっ、プルート! そこで、 「プルート、口惜しくないかねえ」 といったら、子供はきょとんとしている。注釈してやった。 「ねずみに飼われてさあ」 受けた。それからしばらく、ミッキーとプルートの物真似が流行った。子供がいう。「――駄目じゃないかっ、プルート! ――何だと、ねずみのくせに。ガウ、ガウ」下剋上。パニックに陥るミッキー。「――あ、こら。どうしたんだ、プルート。何をするんだ、やめろ、やめろっ」 声色が案外うまいので(ミッキーファンの方には申し訳ないが)、これが、かなりおかしかった。 このような話が好きです。 ミッキーファンの方には申し訳ありませんが。 そして、北村薫さんは続けます。 先述のミッキーとプルートの物真似を、子供があきもせず演じたのは、 “示された見方、切り取り方に意外性があったからだろう。今まで当然のものとして受け入れて来たことに異論が唱えられた――そこに不思議な面白さを感じたのであろう。” 今まで当然のものとして受け入れてきたこと。 これは、ひとつの「枠」だと思います。 その枠に異議が唱えられ、不思議な面白さが感じられる。 ワクワクする。 よくわかります。 しかし、北村さんの言葉はまだ続きます。 “しかし、考えてみると、不思議なのはどちらか。” りすの姿で木のうろで生活するが、人間ように思考し会話するチップとディール。 ミッキーは服を着て人間の生活をしていて、プルートは首輪をしてミッキーに飼われている。 プルートと同じ犬であるにも関わらず、グーフィーは服を着て「あっひはー、ミッキー」などと登場する。 “ これだけ複雑な《人間関係》を子供は、すらりと受け入れている。いや、誰でもそうだろう。 わたしは、それが《当たり前》であることに感嘆したのである。そこで、つい、《お前たち、すごいことやっているんだぞ》というのを、別の形でいってしまったのだ。” 現実の枠から物語の枠へ。 物語の枠から現実の枠へ。 「枠」それ自体は善くも悪くもなく、必ずあるものかと。 その枠を認め、ときには枠から外に出ると、ワクワクが湧くのかもしれません。 《サノトモ》
Fw:わもんな言葉28−枠を外せばワクワクする《わもん黒帯初段 :サノトモ》
最近、思い出した話があります。
北村薫さんの『謎物語』に掲載されている話です。
“ テレビで、ディズニーのアニメをやっていた。子供が見ている。
犬のプルートが、りすのチップとディールを追いかけ、せっかくのクリスマスツリーを倒してしまう。ミッキーがおなじみのかん高い声で叱る。
――駄目じゃないかっ、プルート!
そこで、
「プルート、口惜しくないかねえ」
といったら、子供はきょとんとしている。注釈してやった。
「ねずみに飼われてさあ」
受けた。それからしばらく、ミッキーとプルートの物真似が流行った。子供がいう。「――駄目じゃないかっ、プルート! ――何だと、ねずみのくせに。ガウ、ガウ」下剋上。パニックに陥るミッキー。「――あ、こら。どうしたんだ、プルート。何をするんだ、やめろ、やめろっ」
声色が案外うまいので(ミッキーファンの方には申し訳ないが)、これが、かなりおかしかった。
このような話が好きです。
ミッキーファンの方には申し訳ありませんが。
そして、北村薫さんは続けます。
先述のミッキーとプルートの物真似を、子供があきもせず演じたのは、
“示された見方、切り取り方に意外性があったからだろう。今まで当然のものとして受け入れて来たことに異論が唱えられた――そこに不思議な面白さを感じたのであろう。”
今まで当然のものとして受け入れてきたこと。
これは、ひとつの「枠」だと思います。
その枠に異議が唱えられ、不思議な面白さが感じられる。
ワクワクする。
よくわかります。
しかし、北村さんの言葉はまだ続きます。
“しかし、考えてみると、不思議なのはどちらか。”
りすの姿で木のうろで生活するが、人間ように思考し会話するチップとディール。
ミッキーは服を着て人間の生活をしていて、プルートは首輪をしてミッキーに飼われている。
プルートと同じ犬であるにも関わらず、グーフィーは服を着て「あっひはー、ミッキー」などと登場する。
“ これだけ複雑な《人間関係》を子供は、すらりと受け入れている。いや、誰でもそうだろう。
わたしは、それが《当たり前》であることに感嘆したのである。そこで、つい、《お前たち、すごいことやっているんだぞ》というのを、別の形でいってしまったのだ。”
現実の枠から物語の枠へ。
物語の枠から現実の枠へ。
「枠」それ自体は善くも悪くもなく、必ずあるものかと。
その枠を認め、ときには枠から外に出ると、ワクワクが湧くのかもしれません。
《サノトモ》