Fw:わもんな言葉40−自動ドア理論《わもん黒帯二段: サノトモ》

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2013/ 2/24 15:55

書籍『わもん』が改題され、『聞けば叶う わもん入門』として生まれ変わります。

改題され、装丁が一新されただけでなく、「音」に関する項への加筆、そして新たな書き下ろしの一項も加わります。

そして、本間先生の推薦の帯もついて。

さて、「聞けば叶う」という言葉ですが、何を聞けば、何が叶うのでしょうか?

それは、自分の声なき声を聞くことができれば、その声は現実となる、という意味です。

ドアの前に立つと、そのドアが自動的に開くように道が開けていく。

話は変わって、最近「自動」のものが増えてきて便利になってきています。

自動ドアもそうですが、階段を自動的に上がるエスカレータ、洗濯機や炊飯器。

トイレも自動的に水が流れる。

一方で、ちょっとした弊害もあるようです。

最近聞いた話では、トイレの水が自動的に流れるので、自動的に流れないトイレでも水を流さないお子さんが増えてきているとか。

極端な話をすると、ドアの前に立っても自動的に開かなければ、それはドアではなく壁だと思ってしまう人もでてくるかもしれません。

それはおかしな話。

ドアならば、自分の手で開ければいいことです。

水が自動的に流れなければ、自分で流せばいいことです。

はたまたおかしな話をすると、歩いていると横で自動ドアが勝手に開くことがあります。

自動ドアが開いたからといって、そこが進む道だと自動ドアを通っていくことはありません。

結局のところは、自分の行きたい行先をしっかりとしておくこと。

目的地、エンドポイントを見定めておくことです。

普段、当たり前と思っていることは、決して当たり前のことではありません。

さまざまな方々、さまざまな事柄が重なって起きた事象です。

自分の行先を見定め歩む上で、さまざまな方々、さまざまな事柄に感謝を持って進まなければ、自動ドアに気付きません。

自動ドアがあると気付くのは、言葉を変えると道が開けたと感じられるのは、おぼろげでも行先がわかっている人、そして、自分以外の意思の存在を感じられる人だと思います。

《サノトモ》

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