Fw:「無相」というあり方【2013/0 6/14】《わもん黒帯二段: ナカジ》

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【2013/06/14 岡谷市・照光寺さん訪問】

宥澄さまとの語らいの中で……

もう一つ……

大切な気づきがありました。

「無相」

「身口意」
すなわち、拝む、唱える、祈る
のようなかたちで行う業を
「有相」と呼ぶのに対し、

花が花として咲くように、
鳥が鳥としてさえずるように、

日々あるがままの我が身を生きながら
悟りに近づいていくあり方……

というようなことを
「無相」
と呼ぶそうです。
(専門的にはもっと深遠な意味づけがあるものと
お察ししますが、ここではざっくりとイメージのみ。)

やぶちゃん、
ここでまたも深く得心。

「在家で行う修行」と一貫して表現されてきた
「わもん」。

日常生活を営む中で実践を重ねていく修行、
いつも暮らしとともにある精神修養。

「わもん」のあり方は、
「無相」と呼ぶにふさわしいものではないでしょうか。

ちなみに……

「無相」には

「一切の執着を離れた境地。
仏道修行の三解脱門の一。」

との意味もあります。

さらに……

「無相離念」と書いて
「一切の念慮・妄念を離れること。」

「わもん」で言うところの「離我」でしょうか。

《ナカジ》

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