Fw:わもんな言葉50−深める《わもん黒帯三段: サノトモ》

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2013/ 2/24 15:55

「聞く力を『高める』と言っていましたが、最近『深める』と言いはじめました」

やぶちゃんが最近ときどき言っている言葉です。

そして私が以前から気になっている言葉です。

「高める」と「深める」。

以前に自身のブログで「知識とスキル」という記事を書いたことがあります。

知識は「深い」「浅い」と言い、スキルは「高い」「低い」と言うことから書いたものです。

「知識を深める」とは言うけれど、「知識を高める」とはあまり言わない。

「スキルを高める」とは言うけれど、「スキルを深める」とはあまり言わない。

ここで「聞く力」を考えてみると、「聞く力を深める」「聞く力を高める」、両方言える。

「力(ちから)」だけで考えてみると、「力を深める」よりは、「力を高める」の方がふさわしいような気がするのになぜでしょう。

「知識」は「わかる」と関係しています。

「わかる」は「分かる」「解る」「判る」「別る」。

何かを分解することが「わかる」。

一方、「スキル」は「できる」と関係しています。

「できる」は「出来る」「出で来る」

何かから創造することが「できる」。

知識を得るためには、分析することが有効。

スキルを得るためには、統合することが有効。

知識は「静」、スキルは「動」。

「わかる」と「できる」は違うと言われます。

「わかっていても、できなければ何にもならない」など。

「わかる」というときには下方向へ、「できる」というときには上方向へのイメージがあります。

「知識」は「深い」、「スキル」は「高い」というイメージからでしょう。

となると、「わかっていて、できる」というのは、下へ行って戻ってくるようなものでしょうか。

「聞く力を高める」「聞く力を深める」と両方言えるのは、上方向への「できる」にも、下方向への「わかる」にも関わっているからではないかと思います。

「可能性を引き出す」力ならば、「高める」の方がふさわしく、一方「可能性を見つける」力ならば、「深める」がふさわしく思います。

「聞く力を『深める』」と言いはじめたのは、可能性を見つけていく、あるいは可能性を明らかにしていく方へ、さらに焦点が近づいてきたのではないかと思っています。

「わもん」の目的は「自己わもん」。

自分の声なき声を聞くために、深く深く潜っていくのです。

サノトモ

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