Fw:わもんな言葉93−声楽《わもん研究室室長: サノトモ》

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あらためて、シャーロック・ホームズを読みたくなりました。

先日、ロンドンへ行ってきたためです。

手に取ったのは『緋色の研究』(阿部知二訳、創元推理文庫)。

読んでいると、驚くことに、ホームズが次の台詞を口に出していました。

“「君は、音楽についてダーウィンがいったことばをおぼえていますか。彼の説によると、音楽をつくりだしたり観賞したりする力は、言語能力よりもずっと古くから人類にそなわっていたという。ぼくたちが音楽をきいていいいようもなく感動をうけるのは、きっとそのためだろうね。われわれの魂のなかには、世界の幼年期の、霧につつまれたような日々の、おぼろげな思い出が生きているのだ」”

音楽をつくりだしたり観賞したりする力は、言語能力よりもずっと古くから人類にそなわっている。

2012年10月24日付ヤブログ放送室『声楽とわもん』で、直樹先生が言っていたこととほぼ同じです。

また別の本になりますが、岡ノ谷一夫『言葉はなぜ生まれたのか』では、言葉を話す条件のひとつとして、文法を使いこなせる能力があることを挙げた上で、「単語を組み合わせて、文章にする能力」について、

“「単語が先にあり、単語を組み合わせていくことによって、ことばができた」
のではなく、
「歌のような音の流れがまず先にあり、それを切り分けていくことによって、単語ができた」
と考えるのです。”

と、言葉をもつ以前に、歌詞のない歌を歌っていたのではないかという仮説を立てています。

「わもん」での聞き方について、話し手のキートーンを汲み取る、というような説明がなされるときがあります。

話し手の音の流れの中からキートーンを汲み取ることは、話し手の声なき声を汲み取ることにつながるとも考えられます。

音楽を聞くように人の話を聞く、また、歌うように話す「わもん」

そして、話すように歌うことを目指す「声楽」

「わもん」と「声楽」は、密接なつながりがあります。

《わもん研究室室長:サノトモ》

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