Fw:わもんな言葉100−一人一天命《わもん研究室室長: サノトモ》 Posted on 2014年11月22日 by やぶちゃん ▼SNSでシェアをしてやぶちゃんを応援しよう![?] 「天命」と聞くと思い出す一節があります。 儒学の四書のうちの一つ『中庸』の冒頭部分です。 “天の命ずるをこれ性と謂う。 性に率うをこれ道と謂う。 道を修めるをこれ教と謂う。” 『中庸』では、天の命じたこと、つまり、天命のことを「性」といいます。 そして、その性に従って生きることを「道」。 その道を整えたものが「教え」です。 「性」というのは、本性や性格、人間性や特性などの「性」。 「個性」も「性」のひとつでしょう。 そうすると、個性は天命とつながっています。 人にはそれぞれ個性があります。 それぞれ性格も違います。 それとともに人間性も持っていますし、男性・女性などの性もあります。 これらの性は持って生まれたもの。 天が命じたものともいうことができます。 ひとりひとりそれぞれ違う「天の封書」を持っています。 それぞれ違う個性があります。 性に従って生きると、道となります。 ひとりひとり違う道があります。 ひとりひとり、それぞれの天命があります。 私自身の天命が何であるのかは、まだわかっておりません。 しかし、何らかの天命があるということはわかっています。 この「わもんな言葉」を書き続けていることは、私しかしていないことで、現在は私だけの道です。 ここには私の「性格」や「個性」が反映されています。 ならば、天命につながってもおかしくない。 普段何をしているときが楽しいか、自分らしいのはどんなことか。 素の自分とは、どんな自分か。 日ごろの中に個性があります。 道があります。 その道は天命につながっていると思うのです。 そして、日ごろのあり方を整える方法のひとつが、わもんだと思うのです。 《わもん研究室室長:サノトモ》
Fw:わもんな言葉100−一人一天命《わもん研究室室長: サノトモ》
「天命」と聞くと思い出す一節があります。
儒学の四書のうちの一つ『中庸』の冒頭部分です。
“天の命ずるをこれ性と謂う。
性に率うをこれ道と謂う。
道を修めるをこれ教と謂う。”
『中庸』では、天の命じたこと、つまり、天命のことを「性」といいます。
そして、その性に従って生きることを「道」。
その道を整えたものが「教え」です。
「性」というのは、本性や性格、人間性や特性などの「性」。
「個性」も「性」のひとつでしょう。
そうすると、個性は天命とつながっています。
人にはそれぞれ個性があります。
それぞれ性格も違います。
それとともに人間性も持っていますし、男性・女性などの性もあります。
これらの性は持って生まれたもの。
天が命じたものともいうことができます。
ひとりひとりそれぞれ違う「天の封書」を持っています。
それぞれ違う個性があります。
性に従って生きると、道となります。
ひとりひとり違う道があります。
ひとりひとり、それぞれの天命があります。
私自身の天命が何であるのかは、まだわかっておりません。
しかし、何らかの天命があるということはわかっています。
この「わもんな言葉」を書き続けていることは、私しかしていないことで、現在は私だけの道です。
ここには私の「性格」や「個性」が反映されています。
ならば、天命につながってもおかしくない。
普段何をしているときが楽しいか、自分らしいのはどんなことか。
素の自分とは、どんな自分か。
日ごろの中に個性があります。
道があります。
その道は天命につながっていると思うのです。
そして、日ごろのあり方を整える方法のひとつが、わもんだと思うのです。
《わもん研究室室長:サノトモ》