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The Wall Street Journal(ニューヨーク)で8/13の外国人記者クラブでの会見の模様が紹介されました
東京電力福島第1原子力発電所で起きた昨年の事故当時、所長を務めていた吉田昌朗氏――。同氏は、危機的状況の最中に何を感じていたかを語った自らのインタビュー映像の公開を承諾した。事故の“あとがき”としては異例なことだ。
映像はもともと「福島の復興・日本の未来」をテーマに福島市で11日に行われたシンポジウムで上映するため、人材コンサルタントの薮原秀樹氏が作成したものだ。薮原氏は昨年10月から月に一度、吉田氏(57)を含む延べ250人ほどの原発作業員に対し、ボランティアでカウンセリングを行ってきた。
日本外国特派員協会で13日に公開されたこの映像は多くの点で特筆に値する。カウンセリングを受けること自体、日本では珍しいことであるのに、カウンセリングを受けていることを認めたとなればなおさらだ。また企業の経営者や上級幹部が公に個人の感情を吐露するのも異例のことだ。
映像を公開した薮原氏は、福島ではカウンセリングを否定的に見る向きがあると指摘する。
だが映像のなかで吉田氏は、事故について書かれた報告書などでは「われわれの肉声が通じない。調査委員会を通すと肉声がなかなか届かない。私一人ではなく、いろいろな仲間の経験をちゃんと伝えたい」と話している。
吉田氏は28分の映像のなかで、事故当初の最大の課題は原子炉を安定化させることだったと強調している。東電は全面撤退を望んだと言われていることに対し、吉田氏は「われわれが現場を離れることは絶対にあってはならない。現場では一言も絶対に(撤退とは)言っていない」と断言した。
昨年12月に食道ガンを理由に所長を辞任した吉田氏は映像の中で、命を危険にさらし、悲惨な状況のなか現場で作業をした同僚たちへ深い謝意の言葉を繰り返し述べている。吉田氏は、一歩間違えればさらに悲劇的な結果になったかもしれない事故をこの程度に抑えたことで英雄視されることがよくあるが、映像のなかで、自分は何もしていない、実際に現場に行ってくれた同僚らこそ称賛されるべきだと何度も発言している。食事や睡眠も十分ではなく、「大変な放射線があるなかで、現場に何回も行ってくれた同僚たちがいる」と吉田氏は話す。
吉田氏はまた、自身や作業員らが死亡するかもしれないとの恐怖を感じたことについても語っている。3号機で水素爆発が起こったときのことだ。結果、犠牲者が出なかったことについて、吉田氏は「仏様(のおかげ)かな」と話している。
吉田氏は13日のビデオ上映に同席はしていない。
福島第1原発の作業員らの状況は特に厳しいものだったと薮原氏は指摘する。彼らも被災者であるにもかかわらず、悪者扱いされたからだ。作業員の多くは原発の近くに居を構えていたため、他の被災者と同じ苦しみを味わっていた。例えば家族の死や家屋の喪失、家族との別離などだ。しかし報道機関や世間が東電を声高に非難したため、東電の作業服を外で着用することを恥じる作業員や、トラックに書かれた東電の文字を覆って見えなくする従業員もいたという。なかには結婚をキャンセルしたケースもあったと薮原氏は話す。従業員の給与は30%カットされ、もちろんボーナスは支給されない。
薮原氏は、このような状況に置かれた人間がうつ病の兆候を見せるか、自殺を考えるのは何ら不思議ではないと指摘する。薮原氏は、従業員が口々に将来に光が見えないと言うのを聞いたという。
記者:Yoko Masuda
…………………………
By Yoko Masuda
In an unusual postscript to the Fukushima Daiichi nuclear accident last year, the manager of the plant at the time — Masao Yoshida — has agreed to the release of a video in which he talks about what he was feeling during the thick of the crisis.
The video was originally produced for a symposium in Fukushima, the prefecture where the crippled plant is located, which has suffered the most contamination from the release of radiation. It was created by a human resources development consultant named Hideaki Yabuhara, who’d been providing volunteer counseling, once a month, for Mr. Yoshida and 250 other workers at the plant since October of last year.
The video, which was shown to a group of foreign journalists Monday, is remarkable in many ways. Counseling is rare in Japan, and admitting to receiving counseling even rarer. It’s also unusual for managers and executives to express personal feelings in public.
Mr. Yabuhara, who presented the video on Monday, said that some in Fukushima regarded counseling as a “frivolous” activity.
But in the video, Mr. Yoshida explained that “the human element has been lost” from the many investigative reports written about the accident, and that he and his colleagues needed to “find ways to properly convey the experience.”
In the 28 minute video letter, Mr. Yoshida stressed that his primary concern at the time of the accident was how to stabilize the reactors. In response to claims that Tepco wanted to pull everyone out of the site at one point, Mr. Yoshida said that he’d never considered such a thing, stating that “it was clear from the beginning that we couldn’t run” and that “nobody on the ground said anything about pulling out” of the site.
The 57-year-old, who retired from his post last December due to esophageal cancer, repeatedly expressed gratitude towards his co-workers for risking their lives and working under dire conditions. While Mr. Yoshida is often regarded as a hero for containing what could have been a greater disaster, in his video letter he repeatedly said that he himself had done nothing and that his workers were the ones to praise. Even though they hadn’t gotten enough sleep or food and “the level of radioactivity on the ground was terrible,” the workers at the plant pushed their physical limits and “leaped at the chance to go” to the reactors to try to fix the situation, Mr. Yoshida said in the video.
On the video, Mr. Yoshida also talked about how he feared he and his crew would all die, when hydrogen explosions were rocking the reactors. Since nobody died, Mr. Yoshida, a Buddhist, said he felt “the Buddha was looking out for us.”
Mr. Yoshida wasn’t present at Monday’s video presentation.
Mr. Yabuhara said the situation of the Fukushima Daiichi workers was particularly tough because they’re seen as villains — even thought they’re also victims of the disaster. The workers — many of whom lived in the area around the plant — suffered the same hardships as other victims, such as deaths in their families, loss of homes, or separation from families. Yet the widespread media and public condemnation of operator Tokyo Electric Power Co. meant that some workers felt ashamed to wear their Tepco jackets outside, while others covered up the Tepco signs on their trucks, Mr. Yabuhara said. In some cases, marriages were cancelled, he said. The workers also suffered a 30% reduction in salaries, and of course, no bonuses.
Mr. Yabuhara said it would not be at all strange for someone in such circumstances to show signs of depression and consider suicide. He reported that various workers have told him “We have no hope. There is no light in the future.”
ニュースJAPAN 生出演【2012/08/13 】
吉田昌郎前所長にインタビューした薮原秀樹氏に話を聞きました。
福島第1原発の吉田昌郎前所長がビデオメッセージで、事故当時の状況を生々しく語りました。
2011年10月から、吉田前所長以下、作業員延べ250人のメンタルケアを無償で行ってきた人材育成コンサルタント・薮原秀樹氏に、今回のインタビューについて聞きました。
(吉田前所長と3度にわたり会われたということですが、インタビュー以外で吉田前所長と話して印象的だったところは?)
吉田所長はですね、大阪出身の方なんですね。私も徳島生まれ、大阪育ちですので、大阪弁でやり取りができたんですけども、本当に表裏がなくてですね、立派な指揮官だなという印象があります。それとですね、私『わもん』というコミュニケーションの手法で、吉田所長の了解をいただいて、福島第1原発重要免震棟に入れていただいたんですが、一番最初に申し上げたいのは、私は原発賛成・反対、そのどちらの位置でもなくてですね、エンドポイントを吉田所長と話し合って、『福島完全安全宣言』というところに置かせていただいております。
(インタビューも撮られたということですが、インタビューの中で吉田所長が一番訴えたかったことは?)
事故調のインタビューに、ずいぶん多く答えておられるんですが、今回の福島でのビデオの中でもおっしゃっているんですが、肉声がどうしても届かないと。現場の声が、どうしても届かないということをおっしゃっておられます。
(作業員の方とも2011年10月から、定期的にメンタルケアをされているということですが、そういった作業されている方たちの声というのは?)
10カ月にわたり、毎月延べ250人ほどの方にお話を聞いてきたんですけどね、心中はすごく複雑です。自分たちがいったん被害を受けて、加害者になっている。今もう世論はですね、東電に対していろんなご意見があるので、悪いなあと思っているんですけど、自分たちも家が流されたり、お身内がいなくなったりですね、そんなところがあるので、非常に皆さん、複雑な思いを抱えておられます。
(具体的にエピソードで聞かれたことは?)
多くの方がおっしゃっておられますのは、まず奥様が洗濯物を干すときに、東電のジャンパーをベランダに干すことができないので、部屋干しをしているとか。異業種交流会に参加できないので、名刺の数が減ることがなくなったとか、そういったお声をよく聞いております。
(事故当時からお話を伺っていると思いますが、変化は感じますか?)
事故当時は何とか自分たちが命を懸けて、この重要免震棟で支えなければいけないということで、モチベーションが高かったんですが、このメディアに登場して、こんなことを言うのも変な話なんですが、心ないネットの書き込み、いろんな風潮等で、ずいぶんとメンタルが、私が入る10月のころには、下がっておられる方がたくさんいらっしゃいました。
(現場の方から厚い信頼を受けている吉田前所長ですが、2011年11月に食道がんを患われて、今は所長を退いています。最近の様子はいかがですか? 復帰については?)
7月10日にビデオ撮影させていただいた時に聞いた話ですが、ご本人は『戻る意思がある』ということをおっしゃって、強くおっしゃっておられました。今はどうかわかりませんが、7月10日の段階では、そのようにおっしゃっておられました。
(現場もかなりそれを望んでいる?)
望んでいると思いますね。
(かなり信頼厚いと感じましたか?)
ものすごく、いい指揮官だと思います。
明日(8/13)23:40 〜フジテレビ『ニュースJAPAN 』生出演します
2012.8.12信濃毎日新聞記事( 長野県)『吉田前福島第1 原発所長映像復興テーマ講演会で上映 福島』《高野コーチ》
復興テーマ講演会で上映 福島
東京電力福島第1原発の事故処理を陣頭指揮した前所長の吉田昌郎氏(57)が「部下は地獄の中の菩薩だった」などと心情を語ったビデオ映像が11日、「福島の復興・日本の未来」をテーマに福島市で開催された講演会で上映された。
上高井郡小布施町の出版社「文屋」の主催で、有料の事前登録をした約140人が集まった。
吉田氏はビデオの冒頭、「私どもの発電所の事故で本当にご迷惑をお掛けしている」と謝罪。その上で「部下には地面から菩薩が湧く地湧(じゆ)菩薩のイメージを地獄のような状態の中で感じた」「今後は現場で一緒になった仲間の経験も伝えていきたい」などと語った。
ビデオ上映後の意見交換で、福島県南相馬市の女性は「事故直後から第1原発で働く身内がいる。胸のつかえが取れた感じ」。別の女性は「事故処理をする人たちの上に私たちの生活がある。そういう人たちが報われる社会にしたい」と話した。
吉田氏のビデオ出演は、文屋が出版した本の著者で吉田氏と親交のある人材コンサルタント薮原秀樹氏を通して実現。吉田氏は食道がんの療養で講演会に出席できないため、先月10日に東京都内で薮原氏がインタビューする形で収録された。
薮原氏はビデオ上映後の講演で「原発職員の心が健康になれば廃炉に向けた作業スピードがアップする」と語った。
2012年8月12日 信濃毎日新聞
2012.8.12 日経新聞朝刊「部下は地獄の中の菩薩」《くろちゃん》
「部下は地獄の中の菩薩」
福島革?前所房事故時の心情語る
東京電力福島第1原子力発電所の事故処理を陣頭指揮した吉田昌郎前所長(57)が「部下は地獄の中の菩薩(ぼさつ)だった」などと心情を語っ
たビデオ映像が11日、「福島の復興・日本の未来」をテーマに福島市で開催された講演会で上映された。
長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、有料の事前登録をした約140人が集まった。
吉田前所長はビデオの冒頭「私どもの発電所の事故で本当にご迷惑をお掛けしている」と謝罪。
その上で「部下には地面から菩薩が湧くイメージを地獄のような状態の中で感じた」「今後は現揚で一緒になった仲間の経験も伝えていきたい」な
どと語った。
上映後の意見交換で、福島県南相馬市の女性は「事故直後から第1原発で働く身内がいる。胸のつかえが取れた感じ」。別の女性は「事故処理を
する人たちの上に私たちの生活がある。そういう人たちが報われる社会にしたい」と話した。
吉田前所長のビデオ出演は、文屋が出版した本の著者で、前所長と親交のある人材コンサルタント、薮原秀樹氏を通して実現。前所長は食道がん
の療養で講演会に出席できないため、先月10日に東京都内で薮原氏がインタビューする形で収録された。薮原氏はビデオ上映後の講演で「原発職員の心が健康になれば廃炉
に向けた作業スピードがアップする」と語った。
【発言の要旨】
東京電力福島第1原発前所長の吉田昌郎氏が11日、ビデオ映像で語った発言の要旨は次の通り。
私どもの発電所の事故で、本当にご迷惑をお掛けしている。深くおわび申し上げたい。
(撤退問題が論議になっているが)私が考えていたのは発電所の安定化。原子炉を冷やす作業をしている人間は撤退できないと思っていた。本
店にも撤退ということは一言も言っていない。逃ばられないというのは最初からあった。
現場に飛び込んで行ってくれた部下に、地面から菩薩が湧く地湧(じゆ)菩薩のイメージを、地獄のような状態の中で感じた。私はその後ろ姿に感
謝して手を合わせていた。
3号機の水素爆発後は、破滅的に何か起こってくんじゃないかと感じた。私を含む免震重要棟の人間は死んでいてもおかしくなかった。
(免震棟に残っているメンバーの名前をホワイトボードに書いておくようにと部下に指示したとされるが)最後まで残って闘ったのはこんな人間
だぞってのを残しておきたかったのだと思う。
今後は一緒になった仲間の経験も伝えたい。体力が戻ったら、現揚のために力を出したい。
【2012/07/30 岐阜新聞朝刊】《時の人》福島第一原発の吉田前所長とビデオ対談
吉田氏とは昨年10月に面会し、廃炉に向けた原発幹部職員のメンタルケアを無償で引き受けるなど、親交を深めてきた。幹部職員との面談などで、吉田氏が昨年12月に食道がんのために退任した後も部下からの信頼がとても厚いことを知った。
「事故処理に当たるスタッフのモチベーションを上げないと福島の復興も日本の未来もない。吉田氏に肉声でスタッフの頑張りを語ってもらうのが重要と企画しました」
徹底的に相手の話に耳を傾け、相手が自ら課題を解決していくのを待つ「わもん(話聞)」という独自のカウンセリング手法に、福島第1原発の高橋毅現所長も「(幹部たちは)人に言えないことを吐き出すことができて助かっている」と感謝する。
若いころから、自分が生まれた理由を考え続けてきた。政治家を目指し、国政選挙候補者を熱心に支援したこともある。物品販売業なども営みながら、自分が人を育成する技にたけていると知り、人材コンサルタントになった。
「被災者も十分に胸の内を吐露する場所が必要。そのお手伝いもしたい」。徳島県出身。49歳。ビデオ映像(約30分)は福島市で来月11日に開くシンポジウムで上映する。
出典:2012年7月30日付 岐阜新聞朝刊 記事
【2012/07/29 京都新聞朝刊】《時の人》福島第一原発の吉田前所長とビデオ対談した。
2012/07/29 京都新聞朝刊 時の人 福島第一原発の吉田前所長とビデオ対談した。
吉田氏とは昨年10月に面会し、廃炉に向けた原発幹部職員のメンタルケアを無償で引き受けるなど、親交を深めてきた。幹部職員との面談などで、吉田氏が昨年12月に食道がんのために退任した後も部下からの信頼がとても厚いことを知った。
「事故処理に当たるスタッフのモチベーションを上げないと福島の復興も日本の未来もない。吉田氏に肉声でスタッフの頑張りを語ってもらうのが重要と企画しました」
徹底的に相手の話に耳を傾け、相手が自ら課題を解決していくのを待つ「わもん(話聞)」という独自のカウンセリング手法に、福島第1原発の高橋毅現所長も「(幹部たちは)人に言えないことを吐き出すことができて助かっている」と感謝する。
若いころから、自分が生まれた理由を考え続けてきた。政治家を目指し、国政選挙候補者を熱心に支援したこともある。物品販売業なども営みながら、自分が人を育成する技にたけていると知り、人材コンサルタントになった。
「被災者も十分に胸の内を吐露する場所が必要。そのお手伝いもしたい」。徳島県出身。49歳。ビデオ映像(約30分)は福島市で来月11日に開くシンポジウムで上映する。
出典:2012年7月29日付 京都新聞朝刊 記事
2012年7月31日付 沖縄タイムス 時の人 「聞く」に徹し解決助ける
時の人
「聞く」に徹し解決助ける
福島原発前所長とビデオ対談を実現
薮原秀樹さん
東京電力福島第1原発の事故の陣頭指揮を執った吉田昌郎前所長とのビデオ対談を実現させた。「事故現場に飛び込んで行ってくれた部下は地獄の中の菩薩(菩薩)のようで、後ろ姿に手を合わせて感謝した」などと事故直後の心情を明かす吉田氏の言葉は生々しい。
吉田氏とは昨年10月に面会し、廃炉に向けた原発幹部職員のメンタルケアを無償で引き受けるなど、親交を深めてきた。幹部職員との面談などで、吉田氏が昨年12月に食道がんのために退任した後も部下からの信頼がとても厚いことを知った。
「事故処理に当たるスタッフのモチベーションを上げないと福島の復興も日本の未来もない。吉田氏に肉声でスタッフの頑張りを語ってもらうのが重要と企画しました」
徹底的に相手の話に耳を傾け、相手が自ら課題を解決していくのを待つ「わもん(話聞)」という独自のカウンセリング手法に、福島第1原発の高橋毅現所長も「(幹部たちは)人に言えないことを吐き出すことができて助かっている」と感謝する。
若いころから、自分が生まれた理由を考え続けてきた。政治家を目指し、国政選挙候補者を熱心に支援したこともある。物品販売業なども営みながら、自分が人を育成する技にたけていると知り、人材コンサルタントになった。
「被災者も十分に胸の内を吐露する場所が必要。そのお手伝いもしたい」。徳島県出身。49歳。ビデオ映像(約30分)は福島市で来月11日に開くシンポジウムで上映する。
出典:2012年7月31日付 沖縄タイムス 記事
■関連リンク
沖縄タイムス
www.okinawatimes.co.jp/
2012年夏の文屋座in福島 地球を包む「わもん」の輪
yablog.jp/8.11/
株式会社わもん
www.wamon.co.jp
No. 1 plant’s ex-chief lauds ‘saints in hell’ —Kyodo
Masao Yoshida, 57, describes the workers as “Buddhist saints in hell” and says he thought he could have died in the crisis and the “workers cooling the reactors at the plant could not leave the site.”
The 30-minute video will be shown with English subtitles at a symposium Aug. 11.
It is the first time Yoshida has detailed in public how he felt during the critical period following the March 11, 2011, start of the catastrophe.
Yoshida was relieved of his post in December to undergo treatment for esophageal cancer.
The video was recorded July 10 in a Tokyo hotel specifically for the symposium, according to the Nagano Prefecture publisher organizing the event.
At the start of the video, Yoshida apologizes to the people of Fukushima for “causing great trouble.”
He goes on to say that right after a hydrogen explosion ripped through one of the reactor buildings, workers “rushed to” the site.
He says he told subordinates to write their names on a whiteboard to let people know who “remained at the site until the last minute to fight” the disaster.
Tokyo Electric Power Co. has been criticized for allegedly proposing to the government early in the crisis that all workers at the plant be withdrawn due to safety concerns, but Yoshida denies making such a suggestion.
“Basically, I was thinking how to stabilize the power plant. I thought no one engaged in cooling the reactors could leave,” he says. “I never said a word about withdrawal to the head office.”
Yoshida says debris from an explosion in the reactor 3 building three days into the crisis flew into the building housing the control room where he was in command, and that he feared that an even worse catastrophe was in the offing.
Fw:山陽新聞にも《岡山えびすや: 森安兄》
吉田所長が心情語る部下は「地獄の中の菩薩」 原発事故、撤退なく死を覚悟《千葉日報》
吉田所長が心情語る
部下は「地獄の中の菩薩」
原発事故、撤退なく死を覚悟
東京電力福島第1原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した
吉田昌郎前所長(57)写真が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジュムに、
ビデオ出演することが24日分かった。約30分にわたるビデオ映像で、危険を顧みず行動する部下たちを
「地獄の中の(ぼさつ)」と感謝の念に堪えなかったことや、「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と死を覚悟していたことなどを
生々しく明かしている。
吉田氏が事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」
その上で「私が昔から読んでいる法華経の中に登場する、地面から湧いて出る菩薩のイメージを、すさまじい地獄のような状態の中で感じた」と、
部下の後ろ姿に手を合わせて感謝していたという。
シンポジュウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、8月11日に開かれる。
吉田氏が療養中のため今月10日に都内でビデオを収録。原発事故処理を指揮する東電幹部のメンタルケアをし、
吉田氏と親交のある人材コンサルタント、薮原秀樹氏と対談する形で行われた。
ビデオ映像にはテロップも添えられ、薮原氏による「聞くことで支える『福島完全安全宣言』」と題した講演の後上映される。
≪解説≫
「もっと悪い事態あり得た」
東京電力福島第1原発の吉田昌郎前所長がビデオで語った言葉からは、事故後の危機的な状況下で自分や部下の死を強く意識したことが分かり、
もっと悪い事態になる可能性がある事故だったことを、あらためて思い知らされる。
福島第1原発では昨年3月12〜15日、水素爆発が3回相次いだ。吉田氏らは放射性物質を閉じ込める原子炉格納器が大きく破損する危機の崖っぷちに追い詰められた。
1基でも格納容器が大きく破損すれば、運転員の生命は危険にさらされ、全部の原子炉で作業が続けられなくなる。そうなれば、桁外れに大量の放射性物質が放出される。
国民には当時知らされなかったが、官邸中枢では、首都圏3千万人の避難につながると強く懸念した。
その後、懸命の努力で原子炉を冷やして破局を避けることができた。今では、事態がはるかに悪化する可能性があったことは忘れられがちだ。吉田氏の言葉は、
危機がいかに深刻だったかを示している。東電本店が全員撤退の意向を官邸に伝えていたか否かという論争よりも、原子炉で何が起き、いかに危機を脱したのか、
今も詳しくはわかっていない。吉田氏は、政府事故調の長時間の事情聴取に応じた。だが、思いが伝わっていないという。調査を全て非公開で行った政府事故調の在り方を、
問い直す必要がある。
『千葉日報7月25日(水)掲載記事引用』
「撤退できない」死を覚悟部下は「地獄の中の菩薩」 《東京新聞》
「撤退できない」死を覚悟
部下は「地獄の中の菩薩」
東京電力福島第一原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した
吉田昌郎前所長(57)写真が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジュムに、
ビデオ出演することが24日分かった。約30分にわたるビデオ映像で、吉田氏は危険を顧みず行動する部下たちを
「地獄の中の菩薩」に例えて感謝する気持ちを表現。また「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と語り、
死を覚悟していたことなどを生々しく明かしている。
吉田氏が事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
吉田氏は昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」と語る。
その上で「私が昔から読んでいる法華経の中に登場する、地面から湧いて出る菩薩のイメージを、すさまじい地獄のような状態の中で感じた」と、部下の後ろ姿に手を合わせて感謝していたという。
政府事故調などで、東電の全面撤退問題が議論になっているが「基本的に私が考えていたのは発電所をどうやって安定化させるかということ。現場で原子炉を冷却する作業をしている人間はもう撤退できないと思っていた。本店にも撤退ということは一言も言っていない」と言い切った。昨年三月十四日の3号機の水素爆発時は、げれきが飛んでくるなど「(指揮を執っていた)免震重要棟の人間は死んでもおかしくない状態だった」といい、「これからもう壊滅的に何かが起こっていくんじゃないか」と恐怖を感じたという。
シンポジュウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、八月十一日に開かれる。
吉田氏が療養中のため今月10日に都内でビデオを収録。原発事故処理を指揮する東電幹部のメンタルケアをし、吉田氏と親交のある
人材コンサルタント、薮原秀樹氏と対談する形で行われた。
『東京新聞7月25日(水)掲載記事引用』
事故直後、死を覚悟福島第1(前)所長 吉田氏、ビデオで心境《日本経済新聞》
事故直後、死を覚悟
福島第1(前)所長 吉田氏、ビデオで心境
東京電力福島第一原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した
吉田昌郎前所長(57)写真が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジュムに、
ビデオ出演することが24日分かった。事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
約30分にわたるビデオ映像で、「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と死を覚悟していたことなどを
明かしている。昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」
吉田氏は部下の後ろ姿に手を合わせて感謝していたという。
政府事故調などで、東電の全面撤退問題が議論になっているが「現場で原子炉を冷却する作業をしている人間は
もう撤退できないと思っていた。本店にも撤退ということは一言も言っていない」と言い切った。
3号機の水素爆発時は「これからもう壊滅的に何かが起こっていくんじゃないか」と恐怖を感じたという。
シンポジュウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、8月11日に開かれる。
吉田氏が療養中のため今月10日に都内でビデオを収録。原発事故処理を指揮する東電幹部のメンタルケアをし、
吉田氏と親交のある人材コンサルタント、薮原秀樹氏と対談する形で行われた。
『日本経済新聞7月25日(水)掲載記事引用』
「部下は地獄の中の菩薩」原発事故直後の心情 吉田(前)所長生々しく《産経新聞》
「部下は地獄の中の菩薩」
原発事故直後の心情 吉田(前)所長 生々しく
東京電力福島第一原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した
吉田昌郎前所長(57)写真が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジュムに、
ビデオ出演することが24日分かった。約30分にわたるビデオ映像で、吉田氏は危険を顧みず行動する部下たちを
「地獄の中の菩薩」と感謝の念に堪えなかったことや、「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と死を覚悟していたことなどを
生々しく明かしている。吉田氏が事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
吉田氏は昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」と語る。
その上で「私が昔から読んでいる法華経の中に登場する、地面から湧いて出る菩薩のイメージを、すさまじい地獄のような状態の中で感じた」と、感謝していたという。
政府事故調などで、東電の全面撤退問題が議論になっているが「基本的に私が考えていたのは発電所をどうやって安定化させるかということ。
現場で原子炉を冷却する作業をしている人間はもう撤退できないと思っていた。本店にも撤退ということは一言も言っていない」と言い切った。
シンポジュウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、8月11日に開かれる。
『産経新聞7月25日(水)掲載記事引用』
「部下は地獄の中の菩薩」福島原発 吉田前所長事故後の心情 初めて吐露《毎日新聞》
「部下は地獄の中の菩薩」
福島原発 吉田前所長事故後の心情 初めて吐露
東京電力福島第一原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した
吉田昌郎前所長(57)写真が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジュムに、
ビデオ出演することが24日分かった。約30分にわたるビデオ映像で、吉田氏は危険を顧みず行動する部下たちを
「地獄の中の菩薩」と感謝の念に堪えなかったことや、「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と死を覚悟していたことなどを
生々しく明かしている。吉田氏が事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。
吉田氏は昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」と語る。
政府事故調などで、東電の全面撤退問題が議論になっているが「基本的に私が考えていたのは発電所をどうやって安定化させるかということ。
現場で原子炉を冷却する作業をしている人間はもう撤退できないと思っていた。本店にも撤退ということは一言も言っていない」と言い切った。
シンポジュウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、8月11日に開かれる。
『毎日新聞7月25日(水)掲載記事引用』
Fw:日本経済新聞に掲載されました。《Mr. くろちゃん》
Fw:聞くことで支える『福島完全安全宣言』《たから特派員》
部下は「地獄の中の菩薩」吉田前所長が心情語る
<t.co/H3vH560v>
「 毎日jp毎日新聞」[8link福島第1原発:部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長? ceron.jp/url/mainichi.j
p/select/news/20120725k0000m040058000c.html …
<t.co/OVIAwTOu><t.co/21OnPXvq>
mainichi.jp/select/news/20120725k0000m040058000c.html …<t.co/21OnPXvq>
「大阪日日新聞」部下は「地獄の中の菩薩」吉田前所長が心情語るwww.nnn.co.jp/dainichi/knews
/120724/20120724077.html … <t.co/rNBl60Ns>
「岐阜新聞」部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語るwww.gifu-np.co.jp/news/zenkoku/m
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「東奥日報」部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語るwww.toonippo.co.jp/news_kyodo/new
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「愛媛新聞」部下は「地獄の中の菩薩」/吉田前所長が心情語るwww.ehime-np.co.jp/news/kyodo/201
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gooニュース部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語る(共同通信)news.goo.ne.jp/photo/kyodo/na
tion/PN2012072401001971.html … <t.co/SQn3qgFq>
「東京新聞」部下は「地獄の中の菩薩」www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012072401001909.html
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「佐賀新聞」部下は「地獄の中の菩薩」 / 吉田前所長が心情語るwww.saga-s.co.jp/news/global/co
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「中国新聞」部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語る – www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CO201
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「日本海新聞」部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語るwww.nnn.co.jp/knews/120724/2
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「山陽新聞」部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語るwww.sanyo.oni.co.jp/news_k/news/p/
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「岩手日報」部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語るwww.iwate-np.co.jp/newspack/cgi-b
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「福井新聞」部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語るwww.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/C
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「さんようタウンナビ」部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語るtown.sanyo.oni.co.jp/news_k/d/20120
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「神戸新聞」部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語るwww.kobe-np.co.jp/knews/0005238390.shtml
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「北國・富山新聞」部下は「地獄の中の菩薩」?吉田前所長が心情語る www.hokkoku.co.jp/
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上毛新聞ニュース:【全国ニュース】部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語る raijin.com/ns/20120724010
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「くまにちコム」部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長が心情語る2012年07月24日http://
kumanichi.com/news/kyodo/science/201207/20120724005.shtml
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「四国新聞」部下は「地獄の中の菩薩」/吉田前所長が心情語るwww.shikoku-np.co.jp/national/main/
20120724000386 … <t.co/W6geJGAm>
部下は「地獄の中の菩薩」 news.aol.jp/science/articles/807002/ …<t.co/OAvQ6vrS>
西日本新聞」部下は「地獄の中の菩薩」
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福島第1原発: 部下は「地獄の中の菩薩」 吉田前所長《毎日新聞》
福島第1原発の事故直後の現場指揮官としての心情を語る吉田昌郎前所長(ビデオ映像から)=東京都内のホテルで2012年7月10日、共同
東京電力福島第1原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した吉田昌郎前所長(57)が、復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジウムに、ビデオ出演することが24日分かった。
約30分にわたるビデオ映像で、吉田氏は危険を顧みず行動する部下たちを「地獄の中の菩薩」と感謝の念に堪えなかったことや、「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と死を覚悟していたことなどを生々しく明かしている。
吉田氏が事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。(共同)
福島第1前所長がシンポにビデオ出演へ 「死覚悟」明かす《日本経済新聞 速報》
東京電力福島第1原発事故で収束作業の陣頭指揮を執り、食道がん療養のため昨年12月に退任した吉田昌郎前所長が、復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジウムに、ビデオ出演することが24日分かった。
吉田氏が事故直後の現場指揮官としての心情を一般に向けて詳しく語るのは初めて。約30分にわたるビデオ映像で「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」と死を覚悟していたことなどを明かしている。
吉田氏は昨年3月に原子炉建屋の水素爆発が起きた後、部下たちが「現場に飛び込んで行ってくれた」と語る。「法華経の中に登場する、地面から湧いて出る地中菩薩のイメージを、すさまじい地獄みたいな状態の中で感じた」。部下の後ろ姿に手を合わせて感謝していたという。
政府事故調などで、東電の全面撤退問題が議論になっているが、「現場で原子炉を冷却する作業をしている人間はもう撤退できないと思っていた。本店にも撤退ということは一言も言ってない」と言い切った。
昨年3月14日の3号機の水素爆発時は「これからもう破滅的に何かが起こっていくんじゃないか」と恐怖を感じたという。
シンポジウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、8月11日に開かれる。吉田氏が療養中のため今月10日に東京都内のホテルでビデオを収録。原発の事故処理を指揮する東電幹部のメンタルケアをし、吉田氏と親交のある人材コンサルタント、薮原秀樹氏と対談する形で行われた。〔共同〕
福島第1原発の吉田前所長、部下は「地獄の中の菩薩」…復興テーマのシンポジウムにビデオ出演《スポーツ報知 社会面より》
化させるかということ。現場で原子炉を冷却する作業をしている人間はもう撤退できないと思っていた。本店にも撤退ということは一言も言ってない」と言い切った。 昨年3月14日の3号機の水素爆発時は、がれきが飛んでくるなど「(指揮を執っていた)免震重要棟の人間は死んだっておかしくない状態だった」といい、「これからもう破滅的に何かが起こっていくんじゃないか」と恐怖を感じたという。 シンポジウムは長野県小布施町の出版社「文屋」の主催で、8月11日に開かれる。吉田氏が療養中のため今月11日に東京都内のホテルでビデオを収録。原発の事故処理を指揮する東電幹部のメンタルケアをし、吉田氏と親交のある人材コンサルタント薮原秀樹氏と対談する形で行われた。 ビデオ映像には英語訳のテロップも添えられ、薮原氏による「聞くことで支える『福島完全安全宣言』」と題した講演の後上映される。 ◆吉田昌郎(よしだ・まさお) 大阪府出身。東京工大卒。79年に東京電力入社、10年に福島第1原発所長に就任した。東日本大震災後、原発敷地内
の免震重要棟にある緊急事態対策本部で収束作業を指揮。1号機原子炉への海水注入の中断を求めた東電本店の指示を無視し、注水を継続したことが話題となった。健康診断で食道がんが見つかり、昨年12月、所長を退任した。
共同通信の取材を受けました【 2 012/06/26 】
千葉日報朝刊『種をまく』【2012/ 03/26】
【2012/03/26 千葉日報朝刊『種をまく』】
全国各地から、お知らせが届いています。今朝は、千葉日報でも掲載されたようです。
まきちゃん、お知らせありがとう(*^_^*)
以下本文…
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【相手も自分も変える「聞く力」】
人材育成 小布施などでコンサルティング
上高井郡小布施町の小布施中学校。体育館で男子バレー部の新チームが全国大会出場への足掛かりとなる試合直前のミーティング中だ。キャプテンが練習中に足を捻挫し重苦しい空気の中始まったが、「一番苦しんでいるのはキャプテン本人」と全員でいたわる。皆が本心を語り、耳を傾け合っている。
「みんな、よう聞けるようになったなあー」。横で喜ぶのは、人材育成コンサルタントの薮原秀樹さん(49)。月に一回、大阪から同町職員の意識改革研修に来る薮原さんだが、父母らに頼まれて2年前からバレー部のメンタルコーチも引き受けている。
薮原さんのコンサルティングは「聞く力」を特に重視する。相手の話を相手の気持ちになりひたすら聞く。助言したくても聞くことに徹する。「話し手は、やがて対処すべき問題に自分で気づき、自ら解決していく。聞けるようになると自分も変われる」と思うからだ。
信念の根底には、30代後半で建設会社の経営に挫折した経験がある。倒産しかけ、自殺も考えたとき、その苦しみをただ黙って聞いてくれた人がいた。「そのとき命を救われ、同時に自分が変わるチャンスを得たんです」と薮原さん。
「経済活動を通じて社会を良くしたい」と考えてきた薮原さんはその後、当事者の自発的な行動を促す「コーチング」と呼ばれる人材開発手法を学び、持ち前の人なつっこさでコンサルタントとして成功してきた。
だが「教える」「教えられる」という関係に違和感があった。40代になり思い起こしたのが、ひたすら聞いてもらうことで救われた自分の体験だった。
そして、「聞く力」の養成を中心にすえた「わもん(話聞)」という人材育成の手法を開発。「(相手を)絶対尊敬」「(自分は)完全沈黙」と誰もが訓練すれば習得できるよう体系化した。
企業をはじめ学校にも招かれるようになった。 活発な住民活動などで有名な小布施町が「職員のコミュニケーション能力をさらに高めたい」と薮原さんを招いたのは、4年前。
「その手法は家族関係にも有効」と感じた町職員が、小学校PTA向けの講演会「聞き上手は子育て上手」を開催し、波紋が広がった。 父母だけでなく会社経営者らも薮原さんを招き自主的に勉強を重ねる。
参加者は「薮原さんと話すと、経験したことのない受け止められ方を感じる。可能性を引き出してもらえる」(ある母親)と話す。
薮原さんは同町を「東日本大震災後の町づくりのモデルにしたい」と話す。住民が互いに話し、聞ける関係こそが、復興には何より大切だ、と。
「『わもん』の連鎖が起きれば、日本中が良くなっていく」と、自信を持って言う。
(写真キャプション)小布施中バレー部のミーティングで、部員の話に耳を傾ける薮原秀樹さん(右)