Fw:わもん塾小布施・浄光寺 その4【 2010 /05/15 】≪ヤブログ特派員:YMCA コーチ・高野≫

▼SNSでシェアをしてやぶちゃんを応援しよう![?]

image0001.jpg

【2010/05/15 わもん塾小布施・浄光寺in長野】 その4

浄光寺住職、文ちゃんのお話。

「私はアナウンサー時代に、一方的にしゃべるという生活を

22年も続けてしまいました。今は住職という立場で、

聞くことの大切さを非常にしみじみと身にしみて感じております。

みなさんも「心の開拓」と言う言葉を聞いたことがあるかもしれません。

人間は「心の開拓」が一番大切だということを、

この「わもん」を通じて段々とおわかりになると思います。

みなさんがいろいろなところでつまづいたり、苦しんだり、困ったりしていること
は、

それぞれのみなさんの「心の開拓」がされていなかったのだと思うのです。

今こうやってお話しているときも、みなさんは私を目で見ていらっしゃいます。

だいたい人間は、初対面の風貌とかあるいは着ているものとか、

すべて目で判断をしがちなんです。しかし、これが案外間違いの元なのです。

自分でこうだろうと思ってしまうのです。私も人間にとって

「心の開拓」が究極のものだろうと思っていましたが、ずっと迷っておりました。

ところが、やぶちゃんと知り合ってこの「わもん」をやり始めましたら、

自然と人さまの話を聞けば聞くほど、

自分の「心の開拓」ができてきたかなあと感じております。

しかし完成ではありません。これは非常に奥深いものがあります。

みなさんも、迷いや苦しみ、困ったことがあて悶々としたものを持っていらっしゃ
います。

この悶々というのはわけのわからないお化けのようなものですが、

原因がわかれば自分で解決できます。

ところが人間は、その「心の開拓」ができない限り、

いつまでたっても、その悶々としたものと戦い続けていきます。

お釈迦様は、この悶々を解決することを「悟り」と言いました。

人間が究極にたどりつくことは「悟り」という言葉になるのです。

私はいつも自分で「悟り」に目がけていこうと思ってるんですが、

なかなかたやすくできるものではありません。

心というものはいつでも開かれて、そして開拓をしていかなければしぼんでしまい
ます。

「心の開拓」は、人さまのいろんな話を聞けば聞くほど、少しずつ開拓されていき
ます。

畑を耕すように、一鍬一鍬、耕していく。例えば10アールの心があるとすれば、

一鍬一鍬耕やすには時間がかかります。その人に5アールの心があるとすれば、

10アールの心がある方の半分で済みます。

でも耕したときには、心は10アールの人と比べたら半分です。

みなさんは耕せば耕すほど、こういう機会を重ねれば重ねるほど、

無限の心を持つことができるようになると思うのです。

今日は私自身も、心の耕しを一鍬一鍬していきたい。みなさんと同じ気持ちでおり
ます。

「わもん」すなわち「心の開拓」、すなわち「悟り」につながると思っておりま
す。

≪ヤブログ特派員:YMCAコーチ・高野≫

コメントは受け付けていません。