Fw:『わもんって何だろう』《よしのちゃん》

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【2010/07/10 わもん塾東京・原宿】

『わもんって何だろう』

続きましてのコメントは

よしのちゃんであります

◆わもんって何だろう

「わもんって何?」と聞かれたら、「まずは体感してよ」と笑っていた。というよりも、笑って
ごまかしていたと言ったほうが正しいか。でも人間、のっぴきならない状況に陥る(否、

自ら首をつっこむ)ことってあるよね。なもので、真剣に考えた。考えれば考えるほど、

よく分からなくなって、わもん塾で聞いてみた。で、分かった。何が分かったって?自分が
わもん道を学び模索しているということは、雪山にロッククライミングを挑んでいるような
ものだということが。そして、当の私はてっきり楽しいハイキングだと思って、おにぎりと
水筒だけを持ち、ジーンズとスニーカーで登り始めちゃったということが、ようやく分かった。
今更だけど、わもんって聞く人の修行なんだ。(あ、めちゃめちゃ今更ですよね。(笑)ですよね)
結果として、相手が変わったり、相手が自ら走り始めたりするけれど、でも一番重要なのは
「私が変わる」ことで、単に私のための修行なんだってこと。いや、参った。実はわもんを
受けながら、自分が自分にどんどん気付いたことがある。あ、自分って「なんちゃっての天才」で、
本当の意味で「人の話を聞く」って、とても苦手な分野なんだってこと。自分の内には二つの
両極の性質が存在していて、とても傷つきやすく脆く、謙虚でありたいと心から願う一方で、
私が女王様よと、あくまでも上から目線で哄笑している自分がいるということ。
しかも、そのことに最近気付き、その上わもんは完全なる修行であり、チョモランマ並みの登山
であることに、なんと昨日(7月10日)気付いたのである。あいや、参った。だけど、待てよ。
気付いてるじゃん。人の話を聞きながら、自分の愚かしくも愛らしい迂闊さに気付いてるじゃん。
(ちなみに、迂闊とは事情に疎く注意が足りない様であるとマキちゃんが調べてくれた。あははは)
もしかしたらチョモランマ、登れるかも。全然準備足りなかったけれど、これからは準備万端で
ちょっとずつ登れば登れるかも。私にとって「わもん」とは、私自身に気付く修行である。
これまでは、迂闊にものを言い、かつ行動し、自らの首を思いっきり絞めて、歩きにくい道ばかり
歩いていたのだが、わもんを通してあらゆることに準備を整え、人生ラクラクでハイキングする
ための修行である。迂闊くん、気付かせてくれてありがとう。(あくまでも人生ラクラクで行かせて
いただきます)

よしの

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