【2010/08/21 わもん塾小布施・浄光寺in長野】 その11
「三つ目、これも造語でございます。
仏教的には失礼と思いながらつくらせていただいたのですが、
自他一如という言葉がございます。
自分と他人が、もうどちらが自分でどちらが相手様かわからない
というような状態でございます。
そこから「話聞一如」と名づけさせていただきました。
話し手と聞き手があまりにも一緒になって、
その方の悲しみ、その方の喜びがもう以心伝心の局地。
「あー、もうわかる」「今、何を思ったかわかる」
「これからこの方が何をしようかわかる」
「絶対尊敬」ができて、「完全沈黙」ができると、結果「話聞一如」状態になる。
できうれば、今日の終了時の13時くらいには、
ここがそういう場になればいいなあと思っております」
≪ヤブログ特派員:YMCAコーチ・高野≫