Fw:わもんな言葉16―絶対点《わもん黒帯初段: サノトモ》 Posted on 2012年10月8日 by やぶちゃん ▼SNSでシェアをしてやぶちゃんを応援しよう![?] 言葉、言語というのは、コミュニケーションのひとつの手段です。 自分の思っていること・感じていること・考えていることを相手に伝える、とても便利な道具です。 言葉があることで、人類はさまざまなことを成し遂げています。 旧約聖書の「バベルの塔」の話。 人間が共通の言語を持っていたころ、天に届く塔を作ろうとしていました。 それを見た神は、塔を破壊し、言語をバラバラにした、と。 本当の話か作り話かはさておき、言語、言葉の力がとてつもないことを表現しています。 しかし、言葉もひとつの道具。 コミュニケーションをとるため、協力体制をつくるためなど、ひとつの道具です。 今、読んでいる小関智弘さんの『職人学』という本の中に、興味深い記述がありました。 鏨(たがね)で鉄板を削(はつ)る仕事について、です。 鉄板に引いた線に沿って、左手で鏨を握り、右手でハンマーを振って鏨の頭を叩き切り進めていく仕事です。 ハンマーが正確に鏨の頭に当らないと、ハンマーで自分の左手を打ってしまいます。 ハンマーで左手を打つのが怖いので、目はどうしても鏨の頭を見てしまいます。 すると、先輩職人から「どこを見てハンマーを振っているんだ。鏨の先を見ろ」と罵声が飛びます。 先輩職人に理由をたずねると「俺も、そう教えられた」と。 小関さんはここで、「理屈ではなかったが、理にかなっていた」として次のように書いています。 “鏨で削る仕事というのは、鏨の刃で正確に罫引き線のとおりに鉄板を切る仕事である。だから刃先が罫引き線どおりに切り進んでいるかどうかを、目で確かめながらハンマーを振る必要がある。左手を打たないようにハンマーを振るのが仕事ではない。” 言葉にも当てはまるように思います。 誰かに何かを話すとき、あるいは誰かの話を聞くとき、それは、自分の思いや考えを伝えたい、あるいは相手の思いや考えを理解したいときです。 言葉を正確に伝える、あるいは逆に、言葉を一字一句間違わないように覚えるためではありません。 言葉そのものよりも、言葉のもとにあるものに焦点をあてていきます。 「わもん」では、そこを「絶対点」と呼んでいます。 『職人学』の先の引用にはその続きがあります。 “それができるようになるまで、わたしは何回も左手を腫れあがらせなければならなかったが、やがてほんとうに、先輩職人の言うとおり、鏨の先を見ているほうが、ハンマーは正確に鏨の頭を打つのだと実感できるようになった。” 話を聞くことも、絶対点に焦点を当ててしっかり聞けるようになるまでには、何度も失敗するかもしれません。 しかし、絶対点に焦点を当てて聞いている方が、言葉もしっかり聞けるようになるのではないかと思います。 《わもん黒帯初段:サノトモ》
Fw:わもんな言葉16―絶対点《わもん黒帯初段: サノトモ》
言葉、言語というのは、コミュニケーションのひとつの手段です。
自分の思っていること・感じていること・考えていることを相手に伝える、とても便利な道具です。
言葉があることで、人類はさまざまなことを成し遂げています。
旧約聖書の「バベルの塔」の話。
人間が共通の言語を持っていたころ、天に届く塔を作ろうとしていました。
それを見た神は、塔を破壊し、言語をバラバラにした、と。
本当の話か作り話かはさておき、言語、言葉の力がとてつもないことを表現しています。
しかし、言葉もひとつの道具。
コミュニケーションをとるため、協力体制をつくるためなど、ひとつの道具です。
今、読んでいる小関智弘さんの『職人学』という本の中に、興味深い記述がありました。
鏨(たがね)で鉄板を削(はつ)る仕事について、です。
鉄板に引いた線に沿って、左手で鏨を握り、右手でハンマーを振って鏨の頭を叩き切り進めていく仕事です。
ハンマーが正確に鏨の頭に当らないと、ハンマーで自分の左手を打ってしまいます。
ハンマーで左手を打つのが怖いので、目はどうしても鏨の頭を見てしまいます。
すると、先輩職人から「どこを見てハンマーを振っているんだ。鏨の先を見ろ」と罵声が飛びます。
先輩職人に理由をたずねると「俺も、そう教えられた」と。
小関さんはここで、「理屈ではなかったが、理にかなっていた」として次のように書いています。
“鏨で削る仕事というのは、鏨の刃で正確に罫引き線のとおりに鉄板を切る仕事である。だから刃先が罫引き線どおりに切り進んでいるかどうかを、目で確かめながらハンマーを振る必要がある。左手を打たないようにハンマーを振るのが仕事ではない。”
言葉にも当てはまるように思います。
誰かに何かを話すとき、あるいは誰かの話を聞くとき、それは、自分の思いや考えを伝えたい、あるいは相手の思いや考えを理解したいときです。
言葉を正確に伝える、あるいは逆に、言葉を一字一句間違わないように覚えるためではありません。
言葉そのものよりも、言葉のもとにあるものに焦点をあてていきます。
「わもん」では、そこを「絶対点」と呼んでいます。
『職人学』の先の引用にはその続きがあります。
“それができるようになるまで、わたしは何回も左手を腫れあがらせなければならなかったが、やがてほんとうに、先輩職人の言うとおり、鏨の先を見ているほうが、ハンマーは正確に鏨の頭を打つのだと実感できるようになった。”
話を聞くことも、絶対点に焦点を当ててしっかり聞けるようになるまでには、何度も失敗するかもしれません。
しかし、絶対点に焦点を当てて聞いている方が、言葉もしっかり聞けるようになるのではないかと思います。
《わもん黒帯初段:サノトモ》