Fw:わもんな言葉64−言えば叶う《わもん黒帯三段: サノトモ》

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わもんとは、漢字で書くと「話聞」、「話す」と「聞く」です。

わもんの本のタイトルが『聞けば叶う』なので、聞く方に重点が置かれているようにも見えますが、話す方も忘れてはいません。

「聞けば叶う」の対として、「言えば叶う」という言葉があります。

目標や願望、夢などを、口にしたり、言葉に書き留めて置いたりすると叶いやすくなるというのは、よく言われています。

ではなぜ、言葉にすると目標や願望、夢などが叶いやすくなるのでしょうか。

ひとつの理由として、私は、目標や願望や夢という形ないものに形を与えるからだ、と思っています。

言語化することは、具体化することです。

言葉は、良くも悪くも、形を与えます。

枠をつくります。

器、入れ物です。

なので、言葉は中身を見えなくしてしまうこともあります。

表面的な「聞く」は、パッケージを見ているだけで中身を見ていないことだ、とも言えます。

しかし、うまく使えば、散らばっているものをまとめることができます。

そのままでは拡散する気体も閉じ込めておくことができます。

有耶無耶になりそうな、形ないものに形を与えてくれます。

言葉は、思考や感情、イメージや情景などに形を与え、見えるようにしてくれます。

他の人に届けることができます。

わもんでの話し方・聞き方は、私にとっては、話し手と聞き手が「一緒に開けてみようか」と、言葉という入れ物を開けているようなイメージです。

急に例えが身近なものになってしまいますが、話し手と聞き手がお菓子を一緒に食べようと、袋を開けるようなもの。

話し手がお菓子の袋を取り出したとき、聞き手はそのままもらって、後で一人で食べることもできますし、もらわないで返すこともできます。

なぜ話し手がお菓子の袋を取り出したかといえば、ひょっとすると、話し手が聞き手の前で自慢げにお菓子を一人で食べて優越感をあじわいたかったという理由かもしれません。

あるいは自分はいらないけれども、聞き手が欲しそうにしていたから取り出したのかもしれません。

しかし、おそらくは、一緒に食べたかったから取り出したのではないかと思います。

とすると、話し手が一緒に食べたいと思っていたお菓子を、聞き手がその場で一緒に食べるならば、食べてほしいと思っていたことが実現したとも言えます。

「聞けば叶う」「言えば叶う」は、車輪の両輪。

聞き手と話し手の相互作用です。

聞き手と話し手の間で、言葉の袋を開けると、夢や思いが溢れてくる。

そんな思いを、わもんな言葉に込めて♪

サノトモ

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