【2014/11/30 やぶちゃん日記】
昨晩のガチ聞きライブin広島で
三段:まっさん
四段:ゆりぞう
認定です
明日は
岡山でのガチ聞きライブです
皆さん、会場でお会いしましょう!
【2014/11/29 やぶちゃん日記】
わもん黒帯メーリングリストより
今後のスケジュールをご案内します
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【11月27日からのスケジュール】
いよいよ12月。小布施が楽しみな\(ta_na♪です。
■小布施ラウンド
昨年も盛り上がりましたが、今年も楽しみです。
★1年の振り返り
★もろさん名人へラスト3をステージで
★つよっさん「聞き合う社会」
★わもんコーラス隊
★直樹先生ミニコンサート
★やぶりん!グッズも販売予定
など、盛り上がりポイント満載。
お申込は
kokucheese.com/event/index/237310/
内容は
www.tsmark.com/wamon/wamonobuseround.pdf
■やぶりん!「ミジンコカレンダー」販売開始
★つっちーね筆文字入り
★可愛らしい(^^)やぶりん!が各月によって変身しますよ~
みなさんのお近くに置いて頂けたらやぶりん!も喜びます♪
年末年始のご挨拶、プレゼントにしても喜ばれますよ!
★2015年やぶりん!ミジンコカレンダーやショッピングサイト内の商品の収益の一部は、
井戸端わもん東北で使用することになった「わもんのすすめ」購入支援金とさせて頂きます。
ショッピングサイト
yaburin.stores.jp/#!/
■やぶちゃんのガチ聞きライブ
大阪のライブは、盛り上がりましたね。
なんと、三段12名、四段6名が認定です。
引き続き
★11月29日・18:00〜/広島/広島南区民文化センター
★12月1日・18:00〜/岡山/オルガホール
★12月7日・?13:00〜 ?18:00〜の2回/沖縄/あやかりの杜 多目的ホール
★12月18日・18:30〜/京都/京都テルサ
年明けは、東京、宮崎、高知、愛知と続きます。
www.tsmark.com/wamon/gachigiki/
■時間とわもんin名古屋 12月21日(日)18:00〜20:00
★できない3兄弟(お金・時間・人間関係)の第二弾!
時間が無い。忙しいと言っておられる方ぜひ。
限定10名(三段以上) 参加費1万円
■てんつく・やぶちゃんコラボin高知
★12月27日/15時30分〜
★来年は、「2015 てんやぶの衝撃的ガチ聞き全国縦断ツアー『ド肝抜かれたい人全員集合!!』」と
名前を変えてさらに、パワーアップ。
■一人一天命応援プログラム
★12月8日(月)/沖縄
★12月17日(水)/京都
参加費/10,000円 ※2回目以降は5,000円
申込は、有限会社わもん中立売まで
■2015年ひとりの志が世界を変える「広島から世界へWAMONの和」
リンポチェ師と歩む平和への祈り
2月9日=広島、10日=名古屋、11日=東京(黒帯限定)、12日=新潟、13日=福島の5日間
詳細は未定です。
【わもん三大まつり・伊勢、小布施、宮崎キャンプの日程】
■その3/宮崎キャンプ
3月14日、15日、詳細は未定
■白帯心徒塾、入門塾情報
まっちゃんのご厚意で「有限会社わもん中立売」のHPから
わもんの自主開催講座が見ることができます。
わたふの黒帯心徒塾、入門塾、白帯心徒塾、食然ほか
wamon.nakadachiuri.com/
■スケジュール
www.tsmark.com/wamon/141112.pdf
■名札
www.tsmark.com/nafuda/nafuda.html
「天命」と聞くと思い出す一節があります。
儒学の四書のうちの一つ『中庸』の冒頭部分です。
“天の命ずるをこれ性と謂う。
性に率うをこれ道と謂う。
道を修めるをこれ教と謂う。”
『中庸』では、天の命じたこと、つまり、天命のことを「性」といいます。
そして、その性に従って生きることを「道」。
その道を整えたものが「教え」です。
「性」というのは、本性や性格、人間性や特性などの「性」。
「個性」も「性」のひとつでしょう。
そうすると、個性は天命とつながっています。
人にはそれぞれ個性があります。
それぞれ性格も違います。
それとともに人間性も持っていますし、男性・女性などの性もあります。
これらの性は持って生まれたもの。
天が命じたものともいうことができます。
ひとりひとりそれぞれ違う「天の封書」を持っています。
それぞれ違う個性があります。
性に従って生きると、道となります。
ひとりひとり違う道があります。
ひとりひとり、それぞれの天命があります。
私自身の天命が何であるのかは、まだわかっておりません。
しかし、何らかの天命があるということはわかっています。
この「わもんな言葉」を書き続けていることは、私しかしていないことで、現在は私だけの道です。
ここには私の「性格」や「個性」が反映されています。
ならば、天命につながってもおかしくない。
普段何をしているときが楽しいか、自分らしいのはどんなことか。
素の自分とは、どんな自分か。
日ごろの中に個性があります。
道があります。
その道は天命につながっていると思うのです。
そして、日ごろのあり方を整える方法のひとつが、わもんだと思うのです。
《わもん研究室室長:サノトモ》
わもん黒帯の皆さん、木下さんの公(おおやけ)の取り組みにお力を貸してください
☆やぶちゃん☆
…………………………
わもん のみなさまへ
こんにちは。
薮原秀樹さんのご著書
『聞けば叶う 〜わもん入門』の版元
文屋の木下豊と申します。
いつもご愛顧くださいまして、有り難うございます。
本日は、お願いがありまして、
薮原さんのご了解のもと、
このお便りを書かせていただきます。
文屋では、現在、
「信州小布施生まれのルポ絵本『世界一のパン』を
世界へ未来へ!」と題して、
クラウドファンディングに取り組んでおります。
ルポ絵本『世界一のパン・ 〜チェルシーバンズ物語』を
制作した目的は、
80数年前に結核に苦しむ日本人を救うために、
カナダの人たちがお金を出し合って、
結核療養所を建設運営して支えてくれたことへの
感謝の気持ちを、後世に伝えることです。
おかげさまで初版の3千部を完売いたしました。
増刷をするにあたり、
購読予約型のクラウドファンディング
(一般のみなさんに資金を募る方法)
に挑むことになりました。
目標額は「100万円」で、現在54%になっております。
期限は18日後の12月8日です。
そして、増刷の、
寄せられた資金を活用する「その先の目標」として、
3.11被災三県の三つの街の、
子どもたちへのプレゼントを考えております。
具体的には、
1)宮城県名取市
2)岩手県陸前高田市
3)福島県南相馬市の
図書館などの公共施設です。
内容は、
1)原画展
2)読み聞かせ会(チェルシーバンズをプレゼント)
3)その街のすべての幼稚園、保育園と小学校、中学校に、
『世界一のパン』と食育絵本『こんもり森のまほうのレストラン』を
各1冊ずつ贈ることです。
カナダ大使館が、後援を決めてくださいました。
みなさま、この取り組みに、ご支援をいただけませんでしょうか?
お願いしたいことは以下の通りです。
クラウドファンディングにご支援をお願いいたします。
金額は、3,000円、10,000円、30,000円、100,000円とあります。
それぞれに応じた御礼を申し上げます。
以下のページから、ご支援をいただくことができます。
readyfor.jp/projects/SEKAIICHI_PAN
信州小布施と被災地や全国のみなさんをおつなぎする、
「公(おおやけ)」の意味のある取り組みだと自負しております。
なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
これについて書いたメルマガです。
www.e-denen.net/kino/kino.cgi?_action=_log&_link=1&_id=72
きのう11月19日(水)、中日新聞の朝刊に掲載していただき、
中日新聞ウェブにも転載していただいております。
www.chunichi.co.jp/article/nagano/20141119/CK2014111902000009.html
どうぞよろしくお願い申し上げます。
・
合同会社 文屋 代表社員 木下 豊 拝
e-mail:bunya@e-denen.net
文屋サイト http://www.e-denen.net
今年2014年10月、やぶちゃんが聖(ひじり)認定となりました。
「第2回輝くあなたに逢うわもん会in伊勢」でのことです。
今年は上田比呂志さんをお迎えし、「ひとりひとりの心の中の天岩戸を開く」と題されて開催されました。
その2日目、神宮での正式参拝の際、上田比呂志さんに言葉が降りてきます。
やぶちゃんに伝えてほしいという言葉で、やぶちゃんにはお役目として、「素(そ)を聞き、直(ちょく)にする」という役割があるということです。
そして最近、偶然、吉田松陰の『講孟箚記』を読みなおしたところ、「序」の中に以下の文言がありました。
“然れども天下の人、方且に富貴に淫せられ貧賤に移され、安楽に耽り艱難に苦しみ、以て其の素を失ひて自ら抜く能はざらんとす。宜なるかな、其の道を見て以て高く且美しくして及ぶ可からずと為すや。”
其の素を失ひて自ら抜く能はざらんとす。
「平素の心がけを失い、そのような混乱から抜け出ることができないでいる。」と訳されています。
「素」というのは平素の「素」でもありますが、手元の漢和辞典を引くと次の意味が載っていました(名詞的意味のみ抜粋)。
?より糸にする前のもとの繊維。蚕から引き出した絹の原糸。
?人工を加えたり、結合したりする前の、もととなるもの。
?人工を加えない本質。生地のままのさま。飾り気のないさま。
松陰は、天下の人々が、富貴貧賤・安楽艱難に染められ、素を失ってしまい、抜け出ることができないでいることを嘆いています。
道というものは、高く美しいものではあるが、身近で簡単なものであるのに、と。
『講孟箚記』とは、吉田松陰の『孟子』の講義録。
『孟子』の一節を思い出します。
“己を枉ぐる者にして、未だ能く人を直くする者はあらざるなり。”
己(おのれ)を曲げる者で、人を真っ直ぐにする者は未だいない。
素を聞き、直にする。
やぶちゃんにふさわしい役割です。
《わもん研究室室長:サノトモ》
最近、「U理論」というものに興味を持っています。
U理論とは、MITのオットー・シャーマー博士の提唱している理論で、その著書『U理論』の副題からいうと、「過去や偏見にとらわれず、本当に必要な『変化』を生み出す技術」です。
そのU理論の考え方の一つとして、「出現する未来からの学習」があります。
「人には二つの異なる源(ソース)による学習」があり、一つは「過去の経験からの学習」、もう一つは「出現する未来からの学習」。
そして、『学習する組織』の著者で、組織学習で有名なピーター・センゲは、『U理論』の序文の中で、「出現する未来から学ぶ」ことについて以下のように述べています。
“こうした学び方(過去の経験からの学習)はつねに重要だが、現代のように大きな変化が生まれつつある時代では、到底それだけでは十分とはいえない。そこで、まだよく知られていないが新しい学習方法が求められる。シャーマーはこれを「出現する未来から学ぶ」と表現する。出現する未来から学ぶことはイノベーションには不可欠だ。出現する未来から学ぶには直感が必要だ。非常にあいまいかつ不確実な状況を許容し、失敗を恐れないことが求められる。想像もつかないようなことに直面し、不可能なことを試みることを覚悟しなければならない。我々は恐怖と危険を感じつつも、これから出現しようとするきわめて重要な何かに貢献しているのだという気持ちによって、前進を続けることができる。”
U理論の「U」は、何かの略号ではなく、いったん深く潜って帰ってくる形が「U」の文字に似ていることから名づけられました。
書籍『聞けば叶う〜わもん入門〜』での「話聞一如」の説明には「心の奥底」という表現が使われています。
“「わもん」をおこなうことによって、聞き手が話し手の「声なき声」を高い精度で感じとったとき、両者が言葉を介することなく思いを分かちあっている状態。聞き手が完全沈黙の状態を保ち、絶対尊敬を贈りつづけて、話し手の心の奥底にある思いをすっかり受けとめきったときに発生する、最高のありよう。両者は自他の境界をこえ、「無意識共同体」でつながりあう。”
「声なき声」は「直感」ともいえます。
心の奥底に「声なき声」は生まれます。
深く潜り、Uの底で「声なき声」が生まれ、言葉として結晶化(クリスタライズ)して帰ってくるのです。
《わもん研究室室長:サノトモ》
わもんでは、「ガチ聞き」などで、よく「音を入れる」ということをいいます。
抽象的ないい方になりますが、魂が震えるような音を入れます。
会話での「あいづち」を、漢字では「相槌」と書きます。
刀鍛冶が刀を打ち鍛えるときに、刀鍛冶とその弟子が2人で交互に槌をふるって刀を打っているのが語源です。
刀鍛冶が本気で刀を打っているとき、弟子が手抜きをしているとどうなるか。
会話も同様で、話し手が本気の話をしているのに聞き手が気を抜いた相槌をすると、どうなるか。
刀の製法について詳しくは知りませんが、熱した鉄を打つのは、固く丈夫にするためだと思います。
自信、決意、覚悟…ときどき揺らぐことがあるかもしれません。
そのような話をしているとき、しっかりとした相槌を入れることで、自信や決意などを固く丈夫にすることができるかもしれません。
自分以上に信じてくれているという相槌を打つ。
そのような相槌を打つことを、「音を入れる」といいます。
《わもん研究室室長:サノトモ》
大学生のときに、教育実習に行ったことがあります。
先生になりたいということは特に思っていませんでした。
しかし、せっかく大学に入ったのだから教員免許の資格を取っておこう、そして、教育実習の経験がどこかで役に立つかもしれない、そのような軽い気持ちで教育実習に参加しました。
そのような気持ちを知ってか知らずか、教育実習初日のオリエンテーションの際、教育実習担当の先生に釘を刺されます。
「この中には、先生になりたいと思っている人も、思っていない人もいると思う。しかし、生徒は、皆さんを将来先生になる人だと見ている。もし、現時点では先生になる気がなかったとしても、『先生になる気はない』というようなことを生徒には話さないでほしい」
このようなことを言われました。
そして、教育実習が始まりました。
クラスのホームルームも担当しました。
私が前に立って、生徒の質問を受けるという機会です。
「なぜ、先生になりたいと思ったのか?」
生徒からそのような質問がでてくるのは予想できることですので、問われたらこう答えようと準備をして臨みました。
案の定、「なぜ、先生になりたいと思ったのですか?」という質問がでました。
用意した答えを言おうと思っていましたが、緊張もあり躊躇しました。
そして、回答として出した最初、次の言葉を言いました。
「別に先生にはなりたいと思っていない」
言ってはいけないことを言ったなと頭の片隅では考えていましたが、生徒たちの真剣な目がこちらに向いているのを感じ、今は作られた回答よりは現時点での本当の考えを伝えたほうがいいと感じました。
そして、言葉を続けます。
「先生になりたいと思っていないというのは、先生になるのが嫌だというわけではない。『虎は死して皮を残し、人は死して名を残す』という言葉があるが、自分の名前を残したいと思っている。名前を残すというのも有名になるというわけではなく、誰かの心に残るような人になりたい。先生はその選択肢のひとつではある。実際、A先生(担当したクラスの先生)は私の心に残っている」
このようなことを言いました。
「名前を残したい」ということは、それまで考えたことがありませんでした。
しかし、この経験から、私は今でも、「名前を残したい」ということを意識するようになりました。
教育実習での出来事は、わもんと出会う前の経験ではありますが、思い返すと、生徒たちの聞く姿勢とそれにふさわしい場があったため、上っ面の回答はできないと感じたのではないかと思っています。
「先生になる気はない」ということを言ってはいけないと外から言われたことを守るより、自分の思いを素直に話したほうがいいと感じて、そのようにした。
この経験では、話し手が私で、聞き手は生徒たち。生徒たちの聞く力が、私の中にあった思いを引き出してくれた経験です。
自分の中の制限に気づき、その制限を超えた経験でした。
生徒や教育現場に限らず、聞く力、場の力はどのような人にもあります。
聞く力が深まると、場も深まります。
場が深く整っていれば、気づきを促しやすくなります。
聞く力を深めることで、気づきを促す場づくりができます。
教育の現場にも「わもん」は有効かもしれません。
《わもん研究室室長:サノトモ》
「黒帯心徒塾」「白帯心徒塾」に加えて、「透明心徒塾」というものが開催されています。
やぶちゃんが聞く力の可能性への挑戦と銘打たれた心徒塾です。
内容は、そのときどきによって変わりますので説明できません。
今では複数の○○心徒塾がありますが、始まりは、「黒帯」や「白帯」「透明」は付いていない、心徒塾からでした。
心徒塾が進化するにつれ、心徒塾に参加される方のスタートラインを揃えたいというところから「白帯心徒塾」が誕生。
白帯心徒塾が誕生したことで、従来の心徒塾を「黒帯心徒塾」と呼ぶようになりました。
現在、白帯心徒塾は、わもんの黒帯の方々が中心になって運営されています。
そんな中、やぶちゃんも白帯心徒塾を開催していたところ、やぶちゃんの白帯心徒塾のレベルが深まっていきます。
ときには、白帯心徒塾のレベルをはるかに超えることも…。
そこで、やぶちゃんが思う存分やりたいということから、白でもない黒でもない、オール直感進行の「透明心徒塾」が誕生しました。
さて、なぜ「透明」なのか?
透明心徒塾は、「白帯」「黒帯」という流れの延長線上にあるものではなさそうです。
聞く修行のステップでも番外編として取り扱われています。
色としての「白」「黒」は、光の反射によって説明されます。
可視光線のほとんどを反射(散乱)する物体は白く、可視光線のほとんどを吸収する物体は黒く見えます。
「透明」は色ではありません。
可視光線が散乱もせず、吸収もされない状態のことです。
可視光線は、人間が見ることのできる電磁波のことを言います。
電磁波は波長があって、人間の目で感知できる波長の電磁波が可視光線です。
人間の目で感知できない電磁波に「赤外線」や「紫外線」があります。
透明心徒塾は、ひょっとすると人間には捉えられないことをしているのかもしれません。
しかし、「赤外線」や「紫外線」「X線」など、人間は目に見えない電磁波を様々なことに利用しています。
透明心徒塾の中に、何か利用できるもの、役に立つものがあるかもしれません。
「聞く力の可能性への挑戦」。
透明心徒塾は、そのような心徒塾、と、ひとまず理解しておきます。
《わもん研究室室長:サノトモ》