Fw:わもんな言葉110−全縁感謝《わもん研究所所長: サノトモ》

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これまで様々な方々に出会ってきました。

様々な出来事も経験してきました。

出会いもあり、別れもあり、うれしい経験もあれば、悲しい経験もあります。

しかし、それらすべてのおかげで、今の自分があります。

すべてのご縁に感謝しています。

「全縁感謝」という言葉は、昨年(2014年)10月の「輝くあなたに逢うわもん会in伊勢」にて、本間先生より提案された言葉です。

文字通り、すべてのご縁に感謝という意味です。

昨年10月のことなのに、なぜこの時期にこの言葉をテーマに書いているかというと、つい先日、思い出したためです。

現在、私はわもん黒帯四段です。

黒帯心徒塾では、五段チャレンジとして修行をしています。

五段の課題は「ガチ聞きの伴走」で、ポジティブサイクルを回すことを身につけようとしています。

先日の黒帯心徒塾の中で、私の中から次のようなことが見つかりました。

「私がいてもいなくても、世の中はよくなっていく」

私は、世の中はよくなると思っています。

一時的にはつらく悲しいこともあるかもしれませんが、大局的に見ると世の中はよくなっていくと思っています。

それは、私がいてもいなくても同じことだ、と。

ポジティブサイクルについても同じことで、私がいてもいなくてもポジティブサイクルは回ると考えていたことに気づきました。

ポジティブサイクルが回ること、世の中がよくなっていくことが、私の中で「当たり前」になっていました。

「ありがとう」の反対は「当たり前」といいます。

「ありがとう」は「有り難し」から変化した言葉です。

ひょっとすると、これまで感謝していると思っていたことが、当たり前になっていなかったか。

そんなことを思っていると「全縁感謝」という言葉を思い出しました。

そしてさらに、全縁感謝の「全(すべて)」の中に、「私」が入っていなかったことに気づきます。

私がいてもいなくても世の中はよくなる……。

私がいてもいなくてもポジティブサイクルは回る……。

……私は、自分自身には感謝しているのだろうか、と。

私が経験してきたことは、すべて何かのご縁です。

そしてその経験してきたことは、今までの私が運んできてくれています。

昨日の自分が、今の自分をつくっています。

今まで、自分自身への絶対尊敬が難しいと考えていました。

ここに「因」があったようです。

この気づきを「縁」として、「果」に結びつけたいと思います。

《わもん研究所所長:サノトモ》

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