【2015/05/09 やぶちゃん日記】絶対崇拝

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【2015/05/09 やぶちゃん日記】

本日のfacebook六段越えグループ【天人地『究極の承認力』】に下記投稿しました

皆さんもいかが?

六段教習所で、お待ちしています

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
絶対崇拝

この気持ちで

今日一日…

過ごしてみませんか?




Fw:わもんな言葉118−あの手・この手・千手観音手《わもん研 究所所長: サノトモ》

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以前、沢庵禅師の『不動智神妙録』からの引用を使って「わもんな言葉」を書いたことがありました。

「わもんな言葉8−わもん聴覚」です。

実は、その引用部分の前後には、千手観音について書かれています。

「わもん聴覚」での引用部分も含めると、以下の文章です(池田諭さんの訳です)。

“千手観音だとて、手が千本おありになりますが、もし、弓を持っている一つの手に心がとらわれてしまえば、残りの九百九十九の手は、どれも役にはたちますまい。一つの所に心を止めないからこそ、千本の手が皆、役に立つのです。
いかに観音とはいえ、どうして一つの身体に千本もの手を持っておられるかといえば、不動智を身につけることができれば、たとえ身体に千本の手があったとしても、立派に使いこなせるのだということを人々に示すために作られた姿なのです。
たとえば、一本の木を見ているとしましょう。そのなかの赤い葉一枚に心を止めて見れば、残りの葉は目に入らないものです。
葉の一枚一枚に目を止めずに、木の全体を何ということもなく見るなら、たくさんの葉が全部、目に入ります。
一枚の葉に心をとらえられれば残りの葉は見えません。一枚の葉に心をとらえられることがなければ、何千枚の葉だろうと、すっかり見えるのです。
このことを悟った人は、つまり千手千眼の観音と同じです。”

一つの所に心を止めないからこそ、千本の手が皆、役に立つ。

一枚の葉に心をとらえられることがなければ、何千枚の葉だろうと、すっかり見える。

さて、「あの手・この手・千手観音手」。

ありとあらゆる手を打つことを意味します。

そのうちの一つの手に心をとらわれてしまえば、残りの九百九十九の手は、どれも役には立たないのかもしれません。

たとえば、何かしら一生懸命、ありとあらゆる手を打って出した結果があるとします。

のちのち、その結果が出たときは、この手が一番有効だった、と振り返ります。

次に同じような結果を出したいときに、一番有効だった手しか打たなかったらどうでしょうか。

おそらく同じような結果はでないのではないかと思います。

振り返りは大切ですが、一つの手にとらわれてしまうと、残りの手が役に立ちません。

「あの手・この手・千手観音手」を、いつでも・どこでも・誰にでも。

《わもん研究所所長:サノトモ》





【2015/05/04 やぶちゃん日記】わもんテーマパーク?!

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【2015/05/04 やぶちゃん日記】

広島からおはようございますわもん(^O^)/

わもんテーマパーク!

ゴールデンウィークバージョン!

楽しい?アトラクション満載です\(^O^)/

本日の黒帯心徒塾in広島&ガチ聞きライブin広島で、お会いしましょう(^O^)/

ワクワクo(^-^)o



世の動きを見て。。。。

話を聞くと書いてわもん(話聞)。「聞く」を入り口とした自己修養法で、生き方を深める修行をしている、くろちゃんです。m(_ _)m

YouTubeで、「その時歴史が動いた」とか観るのが好きです。(笑)その中で、柳生宗矩の回がありました。柳生宗矩と言えば、やぶちゃんオススメ図書「柳生石舟斎」(柳生新陰流の創始者)の息子であり、時代劇のヒーロー柳生十兵衛のお父さん。その柳生宗矩の書いた「兵法家伝書」に以下の言葉があるそうです。世の動きを見て乱れそうになったら乱れる前に手を打つこの言葉、ずいぶん前にもやぶちゃんから聞いたことがありました。その時は額面通り、言葉通りに受け取りました。もちろんそのままでも素晴らしい言葉です。事が起こる前に、常に先手を打つ。武道をされている方なら「先の先をとる」という言葉があると思いますが正にそれの現場バージョンという感じです。今回、この言葉と再会した時に湧き上がって来たことがあります。それは「世は余」と置き換えれるのではないかということです。わもん三大祭「輝くあなたに逢うわもん会in伊勢」で昨年、一昨年お話しを聞かせていただいた寺岡先生のお話しの中で、「世直しは余直しである」という言葉が出てきます。世(余)の(心の)動きを見て乱れそうになったら乱れる前に手を打つこんな風な言葉が湧き上がってきたのです。心は乱れます。人間だもの!しかし、乱れる前に、乱れそうになる時(刹那)があります。その刹那、手を打つことができるのではないでしょうか。もちろん、簡単ではないでしょうが、出来ないと思うと出来ません。最初は乱れてからでもいいから、手を打ち続ける。これが修行だと思います。余の心の動きに完全沈黙で耳をすまそうと思う今日この頃なのです。

わもん屋くろちゃんのブログ
「あなたの思いを心で聞く」
ameblo.jp/nobu1331






Fw:わもんな言葉117−自らの輝きを信じ切る力を養う自己修養 法《わもん研究所所長: サノトモ》

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「わもん」を漢字で書くと「話聞」となります。

「話す」と「聞く」で「わもん」です。

先日、視点が違うということが話題になり、そこで思いました。

人であれ、動物であれ、物理的にはまったく同じ視点(目の位置)から何かを見ることはできません。

隣どうしで座って同じ方向を見ていたとしても、まったく同じところには座っておらず、若干違う視点から見ています。

右眼と左眼が見ていることも、わずかではあるかもしれませんが、まったく同じではありません。

しかし、だからこそ、奥行きがあり、立体的に見ることができます。

物理的にはまったく同じ視点から何かを見ることはできませんが、見ようとすることはできるかもしれません。

そして、それは「わもん」にも通じることだと思いました。

視点の話でいうと、話し手の話を聞くことときには、話し手の視点で見ようとして聞きます。

話し手がどこを見ているか、聞き手の視点ではなく話し手の視点で話を聞きます。

話し手の視点で見ようと、自分の視点を離れることが「離我」することにつながります。

物理的には、話し手の目の前には聞き手がいます。

聞き手が話し手の視点で見ようとして、見ることができたならば、物理的な目の前には聞き手としての自分がいます。

聞き手は自分自身を見ることになります。

「自己わもん」の入り口です。

聞き手は、話し手の話を、話し手の視点で聞くことで、自分を見ることができます。

「わもん」は「聞く修行」として、聞き手という修行が中心です。

しかし、違う視点から見ると「話す修行」として捉えることもできます。

話をするときには、聞き手の視点から話をしようとすることで、自分に話をすることにもつながります。

話し手と聞き手は、合わせ鏡のようなものです。

「話すわもん」も「聞くわもん」もあります。

合わせ鏡を覗くと、際限なく続いているように見えます。

キリがないことと思われるかもしれません。

だからこそ最後は「信じる」ことになります。

「わもん」とは、「自らの輝きを信じ切る力を養う自己修養法」です。

ここには「話す」「聞く」という言葉は使われておりません。

際限なくキリがないかもしれませんが、その先には輝きがある、そしてそれを信じる力を養っていく。

「わもん」では、そのためのひとつの手段として「聞く修行」を提案しています。

《わもん研究所所長:サノトモ》


【2015/04/30 やぶちゃん日記】あにやぶ新潟《あにきブログより》

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【2015/04/30 やぶちゃん日記】

アニキの出会いと感動日記『カッコ悪さを見せれる人がカッコええ』
2015年04月30日 09時43分 発行

『日本を元気に、地球を笑顔いっぱいに!』

そのために知ってることは全て伝え、動いてゆく。

…………………………

困難に立ち向かおうとしてるあなたへ

話してくれてありがとう

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

新潟から大阪に向かう飛行機から、おっはよ〜

いやぁ、声が出ません

やぶちゃんとのコラボ

本氣で『大丈夫餅つき』

2日連続で喉も枯れました〜

大丈夫餅つき?

百聞は一見にしかず

是非、わもんで味わって!

もちろん、俺も使わせていただきます。

人生変わるわ

でも、俺にとっても大きな2日間になった。

人を応援する

信じる

この力のステージが上がったわ

それは、桁外れに応援する姿、信じる姿を見たから

やっぱり、やぶちゃんは変態!

間違った

いや、間違ってないかも(笑)

ほんま、凄い!

昨日は打ち合わせ一切なしでスタート

テーブルを置いて、居酒屋で二人で話してるところを見てもらう

そう、3時間雑談

時々、スイッチが入って、ガチ聞き、愛のミックスサンド

そして、最後にお互いの近況報告を

俺は13年振りのスキーへの挑戦について話した。

その先に何があるのかわからん

でも、俺の口から出たのは

『やぶちゃん、応援して!』

やった。

!!!

自分が一番ビックリした。

もちろん、今までもたくさんの人に応援してもらってきた。

だから、今がある。

応援することも大好き

でも、あれだけのたくさんの人の前で、自分のことで

『応援して!』

って言ったことがなかった。

同じくらい、やぶちゃんもビックリしてた。

『みんな聞いた?』

『アニキが応援してほしいって』

『舞台に上がる人がみんなの前で言えることじゃない!』

『応援するには、僕にも覚悟がいる』

『ガチ聞きしよ!』

何が出てきたと思う?

『本氣で応援されてるてんつくが羨ましい』

やった。

でも、その先に見えたものがあった!

お願いをして応援された時、俺の応援する力と信じる力のステージが必ず上がる!って確信した。

それを手にした時・・・

ワクワクする〜

ほんま、みんなの前でカッコ悪い俺もさらけ出した。

すると、終わった後のみんなの感想は

『カッコよかった〜』

って

えっ!

そうなんや

ええカッコすればするほどカッコ悪いねん

カッコ悪い姿を見せれることはカッコええねん

昨日のテーマも

『応援される人』

カッコ悪くても、その姿を見せて、その先にあるものに向かってる姿がカッコええ

そんな人が応援される

さあ、どんどんさらけ出して、応援される人に

そして、応援する人に!

ありがとう

愛してるよ。

『ツイてるアニキ8』

…………………………

さあ、アニやぶファイナル!かも

この先、やぶちゃんとのコラボ予定はこれだけ!

アニキ×やぶちゃんコラボセミナー in 仙台

『愛のミックスサンド』

日時

5月14日(木)

18:30〜21:00

会場

仙台市情報・産業プラザ 

AER6階

参加費

5000円

学生4500円

先着

68名

「愛と感謝」「出会いと感動」で、みんなの輝きを応援する「アニキ」

「聞けば叶う」「絶対尊敬」で、みんなの輝きを信じきる「やぶちゃん」

あの!コラボセミナーがついに仙台でも開催!!

やぶちゃんが「わもん」で聞き、アニキがコーチングで質問する

「愛のミックスサンド!」

byてんつくマン

昨年、各地で開催されて話題のセミナーが仙台初開催!

お申込み 「こくちーず」

kokucheese.com/event/index/255640/

お問合せ 

「わもん?だもん 仙台」

wamondamon81sendai@gmail.com


てんつくマンブログ紹介しまっす( 笑)

2015/ 4/27  8:20

さてさて、今、最高に面白いイベントがあるねんけど、それはやぶちゃんとのコラボのてんやぶ。

もう、今、めちゃくちゃおもろいねん。

この前もやぶちゃんにゴルフのキャディーしてもらったんやけど、もう常に本気で大爆笑やねん。

ミスショットしておれが「あっ!」って言うたら、後ろででっかい声で「大丈夫!」って叫ぶねん。

すると、球が木に当たって戻ってきたりするんよ。

パターの時が大爆笑でパターっていうのは、カップから43センチオーバーして打つのが一番入るんや。

だから、パットをする時には43センチオーバーのところに目印を探してそこを見て打つのね。

それをやぶちゃんに言うたら、パットを打つ前に「てんちゃんここやで43センチ!」

「ここを見て打ったら入るかなら、よし、ちょっと気合い入れるわ!」

そう言うてやぶちゃんはなにをしたと思う?

その43センチオーバーのところを指差してでっかい声で本気でこう言うてん。

「はげろ!」

「ここ、はげろ!」

それがまじで本気で言うてんねん。

50歳のおっちゃんが。

もう究極のアホやわ。

まじで凄すぎる。

あのキャディー姿を生中継で絶対に見せたいわ。

まじでおもろい。

今回、石川、富山、新潟で三日間てんやぶをやってたんやけど、もう楽屋も車の中も常に大爆笑。

いやぁほんまにやぶちゃん、おもろすぎるわ。

こんなに笑ったのは久しぶりやわ〜。

5月30日に沖縄でやるからもう絶対に来た方がいいよ〜。

いやぁやぶちゃん、ほんまにあなたは素晴らしいです!

大好きです!

また、やぶちゃんの声かけによって侍ゴルファーのスポンサーになっていただいた皆様、本当にありがとうございます!








わもん名人二段わたふの『在家の阿闍梨行』

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【在家の阿闍梨行】

シアトル、レッドモンド、ベルビューでのわもん入門塾。 シアトルでの白帯心徒塾を終えました。
ご参加頂いた皆さまありがとうございました(^人^)

自らを表現することを重要視する文化の中で
『聞く』ことがどのように役立つのか

『話すための聞く』→『自分を表現するための 聞く』

この点であれば十分にお役に立てることを確信いたしました

自分を表現するために まず自らの声を聞く
自分の表現をさらに伝えるために 相手の話を聞く
『聞く』はやはり世界共通です


わもん名人二段わたふの『在家の阿闍梨行』

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【在家の阿闍梨行】

シアトル、レッドモンド、ベルビューでのわもん入門塾。 シアトルでの白帯心徒塾を終えました。
ご参加頂いた皆さまありがとうございました(^人^)

自らを表現することを重要視する文化の中で
『聞く』ことがどのように役立つのか

『話すための聞く』→『自分を表現するための 聞く』

この点であれば十分にお役に立てることを確信いたしました

自分を表現するために まず自らの声を聞く
自分の表現をさらに伝えるために 相手の話を聞く
『聞く』はやはり世界共通です





Fw:わもんな言葉116−ミジンコの海《わもん研究所所長: サノトモ》

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最近のやぶちゃんのお気に入りのひとつ、微塵子(ミジンコ)学。

ときどき、「ミジンコアニメーション」と称して、ミジンコが跳ぶ様子やミジンコをつかまえる場所などを説明しようとしています。

このブログを読まれている方は知っているかと思いますが、やぶちゃんは「直感」のことを「ミジンコ」と呼んでいます。

「ミジンコアニメーション」は、直感について説明しようとするひとつの試みです。

人間には、意識できるところと意識できないところがあります。

意識できるところは「顕在意識」、意識できないところは「無意識」。

無意識の中でどのようなことが行なわれているのかをわかりやすく説明しようとしているのが「ミジンコアニメーション」です。

「ミジンコアニメーション」について、詳しくは実際にやぶちゃんの説明を聞いてもらいたいですが、簡単に説明をすると、次のようなことです。

水面より上を顕在意識、水面下を無意識の領域として、水面下、海底あたりにミジンコ発生装置があります。

その発生装置はスキーのジャンプ台のようなもので、ミジンコがそのジャンプ台を勢いよく滑り降りて水面上に飛び出すようにジャンプします。

直感を捉えることが、ミジンコが水面上に跳ねたときにつかまえることに相当します。

ここでのミジンコは人の姿をしていて、ナンバ歩きで「行ってくるよ」と言ってジャンプ台に向かいます。

そして水面上に跳ね、たとえつかまえてもらえなかっても、懲りずにまたジャンプ台に向かいます。

このようなミジンコは「ミジンコの海」から来ているのではないか、といいます。

さて、話は少し変わって、先日くろちゃんよりおもしろい説を聞きました。

それは「やぶちゃん=ミジンコ」、やぶちゃんがミジンコではないか、という説です。

この説を「ミジンコアニメーション」にあてはめると、やぶちゃんは何度もジャンプ台から跳んでいます。

もしかすると、他のミジンコたちに「こうやって跳ぶんだよ」と見せ続けているのかもしれません。

つかまえてもらえなくても、あきらめません。

そうすると「ミジンコの海」はどこだろう?

現実、現場、身の周りが、「ミジンコの海」なのかもしれません。

《わもん研究所所長:サノトモ》










【2015/04/22 やぶちゃん日記】スタートはシアトル

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【2015/04/22 やぶちゃん日記】

白帯心徒塾inシアトル!

海外初開催の白帯です

先発:やぶちゃん(聖)

中継ぎ:わたふ(名人二段)

クローザー:やぶちゃん(聖)

参加された方々の高いレベルに合わせた白帯でした

いよいよ

海外初の黒帯心徒塾開催のミジンコが跳びました

アメリカ・シアトルからスタートします!












Fw:わもんな言葉115−未定帳《わもん研究所所長: サノトモ》

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「予定帳」ならぬ「未定帳」。

やぶちゃんは自分のスケジュール帳に、「予定」はもちろん、「未定」も記入しているということです。

「未定」を緑の消せるボールペンで記入して、「予定」になったら緑から黒に書き換えるそうです。

興味深いのは、緑で記入する「未定」のことが、直感にもとづいていることです。

昨年10月末、やぶちゃんはニューヨークの国連本部へ行くことができました。

その数年前から、年が変わりスケジュール帳が新しくなるごとに10月末に「ニューヨーク」と緑の文字で記入していたらしいです。

記入していた年にニューヨークに行けなかったら、「あれ、おかしいな」と。

そして次の年のスケジュール帳の10月末には、また緑の文字で「ニューヨーク」と。

2014年に実現しました。

自分のスケジュール帳を見ると、予定は書かれておりますが、ほとんどが自分ではない他の人のスケジュールです。

もちろん、自分が選択して決めた予定ではあるのですが、どこかで決まり定まったものを書いています。

自分自身との約束として書いてあるものはほとんどありません。

スケジュール帳は自分のためにあるもの。

自分自身との約束や、自分がやりたいことが多く書かれていたいものです。

「未定帳」とは、そのようなものなのかもしれません。

《わもん研究所所長:サノトモ》