Fw:わもんな言葉(番外編)-WAMON《わもん黒帯: サノトモ》

「わもん」という言葉を初めて知ったのは、やぶちゃんのツイッター(@wamonyabuchan)から「わもん」のホームページを見たときでした。

「わもん」は漢字で書くと「話聞」と書きますが、私は違う漢字も思い浮かべていました。

書籍『わもん』の版元である文屋の代表である木下豊さんは、『わもん』のまえがきで次のように述べています。

まえがきは文屋さんのホームページでも読むことができます。

 「わもん」と初めて耳にしたわたしはなぜか、「話聞」ではなく「和門」を思いうかべました。和門……なごやかな、平和な世界への入り口……と連想させるほどに、彼はその命名がうれしそうであり、なごやかな気配を漂わせていたのでしょう。

木下さんの場合は「和門」でしたが、私の場合は、ホームページで「話聞」という漢字であることを知ってはいましたが、「和紋」という漢字を思いうかべました。

「和」という漢字を思いうかべたのは、「わもん」の説明のなかで「和製コーチング」という言葉があったため、「紋」を思いうかべたのは、「完全沈黙」の動画から水の波紋を思いうかべたためだと思います。

そして本日、次のつぶやきがありました。

聞く匠:やぶちゃん@wamonyabuchan
8/13!外国人記者クラブでの記者会見決まりました!《福島完全安全宣言へ向けて世界から英知を》と《2020年東京・福島オリンピック開催》を呼びかけます(^^)v
#やぶちゃん

福島から、日本から、世界へ、「わもん」が波紋のように広がっていくように思いました。

「なごやかな、平和な世界への入り口」です。

《わもん黒帯:サノトモ》


PL花火芸術【2012/08/01 】

【2012/08/01 PL花火in大阪】

大阪の夏の夜空を彩る風物詩『PL花火芸術』が1日夜、大阪府富田林市のPL教団大本庁であった。

教団によると約8万3000人が訪れ、約2万5000発の花火に酔いしれた。

午後8時前、150ヵ所から一斉に打ち上がる号砲でスタート 。

赤や黄色で日本の四季を表現した『四季の彩り』や白を基調とした花火がさまざまな形で咲き誇る『万華鏡』などが夜空を染め、会場から大きな歓声が上がった。

(【2012/08/02】毎日新聞掲載)



Fw:今週のしもちゃん〜わもん式ダイエット〜

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いよいよ始まりました。

今週のしもちゃん〜わもん式ダイエット〜です!

目標体重67kgを目指します!

やぶちゃんとくろちゃんの伴走で、12月2日の那覇マラソンまでに目標体重67kgを目指します!

わもん式ダイエットでは方法ではなく取り組み方でダイエットを成功しようというのが目標です。

ですので、週何日ランニングして!とか、

km何分で走って!とか、

食事はこれしか食べたらあかん!とか言いません。

心の声なき声に従い、必要な運動と、摂るべき食事を摂って、必ず達成いたしましょう!^^

《Mr.くろちゃん》



Fw:『幸せの法則』〜許すということ〜《離婚》高橋茉希( たかはしまき)

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『幸せの法則』〜許すということ〜
◆相手の立場に立つ
◆未来を信じる
◆今を生きる
◆感謝する 
◆手離す

≪離婚≫

相手の言い分もあることですから細かくは書きません。

離婚については、ザックリ言えば価値観の違い。

人財育成やコミュニケーションスキルを伝える仕事をしていて「価値観の違いで人財育成を諦めるのか?」と訊かれたら答えは「NO」です。

だから、悩んだ時期もありました。
違う問題なのにね。

「なんとか修復しなければ…仕事で伝えていることと行動が伴わないなんてありえない」なんてグルグル結婚生活9年間のうち7年間悩みました。

でも、心の声に耳を傾けて奥底の本当の声を聞いたとき答えがみつかりました。

お互いの幸せな未来を考えたときに一緒に居続けることが必ずしもプラスではないということ。

相手を責めたり、自分にも相手にも失望したまま
世間体や意地だけで婚姻関係を続けてもお互い不幸だなって思えたんですよね。

そこからは、早かったですね。
悩み続けていた時間が嘘みたいに吹っ切れましたね。

離婚を勧めている訳ではありませんよ。
私だって最初から離婚するつもりで結婚してないですからね。

結婚を決めたときも明るい未来をイメージしたように、
離婚を決めたときも明るい未来をイメージして

この先の人生で私にとって一番必要なものを選択しただけ

バツイチなんて言葉が定着して
離婚は、失敗のように思われがちですが
バツではなくよい経験をして成長できたそんな風に丸ごと自分を受け止めたら楽になりましたね。

どんな自分も大切な自分ですから

☆ご縁に感謝と愛をこめて☆

茉希拝


Fw: 世界をジョギング「香港」《ヤブログワールド特派員 : 藤江のあーちゃん》

世界をジョギング「香港」【2012 7月25日〜7月29日世界をジョギングin香港】
台風明けの香港。香港島が見渡せる最高のロケーションのチムサーチョイプロムナードをジョギング。走りやすく、世界のジョギングスポットの中でもお気に入りのスポット!インターコンチネンタルホテルのあたりから、ブルスリーの像を通過してホンハム近くまで、海沿いを10キロ程、RUN。潮風を感じながらリラックスな時間。次は、インドネシアから!
《ヤブログワールド特派員:藤江のあーちゃん》













吉田昌郎氏( 福島第一原発前所長) 独占インタビュー映像世界初上映決定!

2012071914460000.jpg首都壊滅の危機!

日本の命運を左右した事故直後の対応

ともに死を覚悟した日々

福島の人達への思い

…赤裸々に

2012年 夏の文屋座in福島

地球を包む「わもん」の輪〜100年後のために、今わたしたちにできること〜

2012年8月11日(土)13:30〜17:30

会場:福島テルサ

入場料:5,000円





【2012/07/30 岐阜新聞朝刊】《時の人》福島第一原発の吉田前所長とビデオ対談

2012/07/30 岐阜新聞朝刊 時の人 福島第一原発の吉田前所長とビデオ対談した。

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東京電力福島第1原発の事故の陣頭指揮を執った吉田昌郎前所長とのビデオ対談を実現させた。「事故現場に飛び込んで行ってくれた部下は地獄の中の菩薩(菩薩)のようで、後ろ姿に手を合わせて感謝した」などと事故直後の心情を明かす吉田氏の言葉は生々しい。
 吉田氏とは昨年10月に面会し、廃炉に向けた原発幹部職員のメンタルケアを無償で引き受けるなど、親交を深めてきた。幹部職員との面談などで、吉田氏が昨年12月に食道がんのために退任した後も部下からの信頼がとても厚いことを知った。
 「事故処理に当たるスタッフのモチベーションを上げないと福島の復興も日本の未来もない。吉田氏に肉声でスタッフの頑張りを語ってもらうのが重要と企画しました」
 徹底的に相手の話に耳を傾け、相手が自ら課題を解決していくのを待つ「わもん(話聞)」という独自のカウンセリング手法に、福島第1原発の高橋毅現所長も「(幹部たちは)人に言えないことを吐き出すことができて助かっている」と感謝する。
 若いころから、自分が生まれた理由を考え続けてきた。政治家を目指し、国政選挙候補者を熱心に支援したこともある。物品販売業なども営みながら、自分が人を育成する技にたけていると知り、人材コンサルタントになった。
 「被災者も十分に胸の内を吐露する場所が必要。そのお手伝いもしたい」。徳島県出身。49歳。ビデオ映像(約30分)は福島市で来月11日に開くシンポジウムで上映する。

出典:2012年7月30日付 岐阜新聞朝刊 記事

■関連リンク

岐阜新聞
www.gifu-np.co.jp

2012年夏の文屋座in福島 地球を包む「わもん」の輪
yablog.jp/8.11/

株式会社わもん
www.wamon.co.jp





【2012/07/29 京都新聞朝刊】《時の人》福島第一原発の吉田前所長とビデオ対談した。

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2012/07/29 京都新聞朝刊 時の人 福島第一原発の吉田前所長とビデオ対談した。


東京電力福島第1原発の事故の陣頭指揮を執った吉田昌郎前所長とのビデオ対談を実現させた。「事故現場に飛び込んで行ってくれた部下は地獄の中の菩薩(菩薩)のようで、後ろ姿に手を合わせて感謝した」などと事故直後の心情を明かす吉田氏の言葉は生々しい。
 吉田氏とは昨年10月に面会し、廃炉に向けた原発幹部職員のメンタルケアを無償で引き受けるなど、親交を深めてきた。幹部職員との面談などで、吉田氏が昨年12月に食道がんのために退任した後も部下からの信頼がとても厚いことを知った。
 「事故処理に当たるスタッフのモチベーションを上げないと福島の復興も日本の未来もない。吉田氏に肉声でスタッフの頑張りを語ってもらうのが重要と企画しました」
 徹底的に相手の話に耳を傾け、相手が自ら課題を解決していくのを待つ「わもん(話聞)」という独自のカウンセリング手法に、福島第1原発の高橋毅現所長も「(幹部たちは)人に言えないことを吐き出すことができて助かっている」と感謝する。
 若いころから、自分が生まれた理由を考え続けてきた。政治家を目指し、国政選挙候補者を熱心に支援したこともある。物品販売業なども営みながら、自分が人を育成する技にたけていると知り、人材コンサルタントになった。
 「被災者も十分に胸の内を吐露する場所が必要。そのお手伝いもしたい」。徳島県出身。49歳。ビデオ映像(約30分)は福島市で来月11日に開くシンポジウムで上映する。

出典:2012年7月29日付 京都新聞朝刊 記事

■関連リンク

京都新聞朝刊
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2012年夏の文屋座in福島 地球を包む「わもん」の輪
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株式会社わもん
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聞く力養成講座( 体感型ワークショップ) 〜心の声を聞くには〜【2012/07/ 28】

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【2012/07/28 損保ジャパン高岡支社企業研修in富山】

聞く力が必要とされている損保の世界!

話す力を送信!

聞く力を受信!

受信力を身に付ける研修です。

本当に伝えたいことは、なかなか言葉で言い表わすことが出来ないのです。

言語プラス非言語(心の声)を聞きませんか?


2012年7月31日付 沖縄タイムス 時の人 「聞く」に徹し解決助ける

時の人

「聞く」に徹し解決助ける

福島原発前所長とビデオ対談を実現
薮原秀樹さん

 東京電力福島第1原発の事故の陣頭指揮を執った吉田昌郎前所長とのビデオ対談を実現させた。「事故現場に飛び込んで行ってくれた部下は地獄の中の菩薩(菩薩)のようで、後ろ姿に手を合わせて感謝した」などと事故直後の心情を明かす吉田氏の言葉は生々しい。
 吉田氏とは昨年10月に面会し、廃炉に向けた原発幹部職員のメンタルケアを無償で引き受けるなど、親交を深めてきた。幹部職員との面談などで、吉田氏が昨年12月に食道がんのために退任した後も部下からの信頼がとても厚いことを知った。
 「事故処理に当たるスタッフのモチベーションを上げないと福島の復興も日本の未来もない。吉田氏に肉声でスタッフの頑張りを語ってもらうのが重要と企画しました」
 徹底的に相手の話に耳を傾け、相手が自ら課題を解決していくのを待つ「わもん(話聞)」という独自のカウンセリング手法に、福島第1原発の高橋毅現所長も「(幹部たちは)人に言えないことを吐き出すことができて助かっている」と感謝する。
 若いころから、自分が生まれた理由を考え続けてきた。政治家を目指し、国政選挙候補者を熱心に支援したこともある。物品販売業なども営みながら、自分が人を育成する技にたけていると知り、人材コンサルタントになった。
 「被災者も十分に胸の内を吐露する場所が必要。そのお手伝いもしたい」。徳島県出身。49歳。ビデオ映像(約30分)は福島市で来月11日に開くシンポジウムで上映する。

出典:2012年7月31日付 沖縄タイムス 記事

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■関連リンク

沖縄タイムス
www.okinawatimes.co.jp/

2012年夏の文屋座in福島 地球を包む「わもん」の輪
yablog.jp/8.11/

株式会社わもん
www.wamon.co.jp



吉田昌郎氏( 福島第一原発前所長) 独占インタビュー映像世界初上映決定!

2012071914460000.jpg首都壊滅の危機!

日本の命運を左右した事故直後の対応

ともに死を覚悟した日々

福島の人達への思い

…赤裸々に

2012年 夏の文屋座in福島

地球を包む「わもん」の輪〜100年後のために、今わたしたちにできること〜

2012年8月11日(土)13:30〜17:30

会場:福島テルサ

入場料:5,000円





No. 1 plant’s ex-chief lauds ‘saints in hell’ —Kyodo

The ex-chief of the Fukushima No. 1 nuclear power plant praises his subordinates who strove to contain the crisis in a video that will be aired at an upcoming event in the city of Fukushima.

Masao Yoshida, 57, describes the workers as “Buddhist saints in hell” and says he thought he could have died in the crisis and the “workers cooling the reactors at the plant could not leave the site.”

The 30-minute video will be shown with English subtitles at a symposium Aug. 11.

It is the first time Yoshida has detailed in public how he felt during the critical period following the March 11, 2011, start of the catastrophe.

Yoshida was relieved of his post in December to undergo treatment for esophageal cancer.

The video was recorded July 10 in a Tokyo hotel specifically for the symposium, according to the Nagano Prefecture publisher organizing the event.

At the start of the video, Yoshida apologizes to the people of Fukushima for “causing great trouble.”

He goes on to say that right after a hydrogen explosion ripped through one of the reactor buildings, workers “rushed to” the site.

He says he told subordinates to write their names on a whiteboard to let people know who “remained at the site until the last minute to fight” the disaster.

Tokyo Electric Power Co. has been criticized for allegedly proposing to the government early in the crisis that all workers at the plant be withdrawn due to safety concerns, but Yoshida denies making such a suggestion.

“Basically, I was thinking how to stabilize the power plant. I thought no one engaged in cooling the reactors could leave,” he says. “I never said a word about withdrawal to the head office.”

Yoshida says debris from an explosion in the reactor 3 building three days into the crisis flew into the building housing the control room where he was in command, and that he feared that an even worse catastrophe was in the offing.

Thursday, July 26, 2012

吉田昌郎氏(福島第一原発前所長)の独占取材映像。8 月11日( 土)「夏の文屋座in福島」で世界初上映決定です。

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木下豊さんの文屋メルマガを紹介致します!!

豊ちゃんと吉田所長のツーショット!

将来の書籍&映画化実現への運命的な出逢いだと思っています!

☆やぶちゃん☆

【信州小布施 文屋だより 2012年7月26日号】

【1.吉田昌郎氏(福島第一原発前所長)の独占取材映像。8月11日(土)「夏の文屋座in福島」で世界初上映決定です。】

文屋は7月10日、都内にて、世界中が注目する吉田氏の独占インタビューを行い、8月11日(土)に福島市で開く文屋座で、その映像を初上映することが決まりました。お盆前のご多用の時期ですが、ご参加いただけると幸いです。

吉田氏のインタビューは、『わもん-聞けば叶う』(文屋)の著者「聞く匠」薮原秀樹さんのご尽力で実現しました。聞く力がみるみる伸びる、考え方と秘訣である「わもん(話+聞)」は、年齢や立場の枠を超えて、幅広い層のみなさんが学び始めています。創始者である薮原さんの講演やセミナーを求める人が急増しています。

薮原さんは、企業や行政、学校、主婦の集まりなどに招かれて「わもん」を伝えるかたわら、福島第一原発に入り、吉田氏をはじめスタッフのみなさんの話を聞き、精神面から支えるメンタルコーチを引き受けてきました。過去10回、通算20日間。東電から、旅費を含むいっさいの報酬や費用を受け取っていません。

「なぜそこまで?」の問いに薮原さんは、「原発事故の終息なしに、福島の復興も日本の未来もありません」「『世界の英知を福島へ』の願いを叶えるためです」と答えます。この思い一つで原発の現場に通い続ける薮原さんへの絶大な信頼が、吉田氏の単独インタビューという快挙の背景にあります。

8月11日の文屋座では、薮原さんが今までに聞き取った現場のみなさんの「心の底からにじみ出た声」を披露し、28分間に及ぶ吉田氏へのインタビューを無編集で上映します。

一昨日夕、共同通信社からこのことを報じる記事が、全国配信され、おかげさまで問い合わせをたくさんいただいております。

くわしい内容とお申し込みは、下記をご覧ください。
www.e-denen.net/bunyaza_seminar.php

書籍『わもん』 www.e-denen.net/wamon.php

文屋代表  木下豊


Fw:わもんな言葉11−心の矢印《わもん黒帯: サノトモ》

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森博嗣さんの本はミステリから読み始めたのですが、最近はエッセイの類が好きです。

現在のベストは『自分探しと楽しさについて』。

「自分」と「楽しさ」について、この2つがほとんど同じものだという考えが、私にとって新鮮な考えで、面白く思いました。

この『自分探しと楽しさについて』からの一節。

「自分」を見つめることは、多くの場合、「他者は自分をどう捉えているだろう」とか、「自分は他者に対して何ができるだろう」というように、実は他者と自分の関係について考察することである。本当に自分だけのことについて考えるのは、かなり難しい。ほとんどできないといって良いだろう。自分にだけ集中すると、自然や他の生き物といった「自分以外」に考えが及ぶが、それらも排除すれば、最後は「無心」に近い情態になるのではないか、とも思える。

私は、「『自分』を見つめることは、他者と自分の関係について考察することである」という箇所から、京極夏彦さんの『塗仏の宴 宴の支度』の文言を思い出します。

不自由あっての自由である。

この文言を読んだときは、ハッとしました。

「自由」という概念というのは、「不自由」だったから生まれたのだと思います。

何かしら抑圧された状態、制限された状態から「自由」を求めたのではないかと思っています。

つまり「不自由」の方が先にあった。

不自由あっての自由です。

しかし、言葉の上では、「自由」が先で「不自由」が後です。

「不自由」という語は、「自由」という語に、打消しの「不」という語を伴ったものです。

「不自由」な状態から、「自由」を求め、「自由」という言葉ができ、「不自由」という言葉ができた。

私にとっては、興味深い発見でした。

冒頭の「『自分』を見つめることは、他者と自分の関係について考察することである」という文言は、「不自由あっての自由である」と同じ構造をしているように思います。

そして、「わもん」での「心の矢印」を自分に向ける、ということも。

「自由」に矢印を向けて「不自由」があるように、「自分」に矢印を向けて「他者」があるように、「聞き手」が自分に矢印を向けることで、自然と「話し手」が浮かび上がるのです。

《わもん黒帯:サノトモ》


土佐市高岡中学講演会演題決定『心をひらいて未来を拓こうそれは現在( いま)!!』

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【2012/07/27 土佐市高岡中学講演会打ち合わせin高知】

来年(2013)の1月に土佐市の高岡中学での講演会の打ち合わせに行ってきました。

演題が決定しました。

その場に居合わせた、先生と保護者で作りあげました。

『心をひらいて未来を拓こう それは現在(いま)!!』

このタイトルが完成するまでに…

様々な考えを語り合い、そして聞き合いました。

全員納得!

拍手喝采!

今から、いい講演会になる予感がしています。

9月に高岡中学で、1時間の授業をする予定です。

やぶちゃんイリュージョンを体感して頂きます(^^)v


Fw:わもんな言葉10−理想像に視点変化《わもん黒帯: サノトモ》

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ヤブログ放送室のお題「わもんなことば」!

現在、1〜9までありますが、待っていたかのように増えていなかった(!?)、「わもんな言葉10」です。

放送室の「わもんなことば」では、日めくりカレンダーの中の言葉のうちの2つ、「理想像に視点変化」と「命を聞く」について語られています。

そのうちの1つ、「理想像に視点変化」を聞いたときに頭に浮かんだのが、夏目漱石『夢十夜』の「第6夜」です。

護国寺の山門で、運慶が仁王を彫っています。

その刃の入れ方は、如何にも無遠慮ですが、少しも疑念を挟んでいないように見えた自分(主人公)が、「能くああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻が出来るものだな」と感心してつぶやくと、近くの若い男がこういいました。
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」

初めて『夢十夜』を読んだのは、中学生か高校生の国語の教科書です。

10話すべては載っていませんでしたが、「第六夜」は載っていました。

この運慶の話が一番好きでした。

そして、大学に入ってから文庫本を買い、読みましたが、やはり「第六夜」が一番好きでした。

ちなみに夏目漱石の作品は、この『夢十夜』(と文庫本に所収の『文鳥』『永日小品』)と、『吾輩は猫である』しか読んだことはありません…。

大学を卒業し働きはじめてから、コーチングのことを知り、勉強をし始めたころ、たしか本間先生の本だったと思うのですが、コーチングのたとえ話として、この「第六夜」の話が出てきました。

本間先生の本を数冊、該当の個所がどこにあったか探してみたのですが、見つからず…m(_ _)m

ツイッターを始めたのは2010年の秋くらいで、本間先生をフォローして、そこから「笑顔のコーチング」のことを知り、やぶちゃんのことも知り、「わもん」のことを知り、と現在に至っております。

私自身の「コーチング」そして「わもん」の理想像は、この運慶のようになりたいというものです。

先はまだ長いと思いますが、目指していきたいと思います。

《わもん黒帯:サノトモ》




Fw:わもんな言葉9−事実集積が直感を生む《わもん黒帯: サノトモ》

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7月4日のヤブログ放送室のタイトルは「わもんな話」

さすが本家本元!

やぶちゃんの突っ走り宣言です。

さて、こちらの「わもんな言葉」は亜流の道を進みます(笑)

今週の放送の中で、ヤブログ放送室の第1回目のテーマが「エアロビ」というのを聞き、最初の方の放送はあまり聞いたことがなかったので聞いてみると、第2回目のテーマは「シャーロック・ホームズ」

やぶちゃんがホームズファンだというのは、どこかで聞いたことがあったのですが(まぁ、心徒塾かヤブログ放送室のどちらかとはなります…)、ここで聞いたのだったかな…。

ということで(!?)、ホームズ物から「わもんな言葉」を書こうとしたのですが、シャーロック・ホームズ・シリーズの文庫本は実家に…。

たしか、ホームズの物語の中に、「分析的推理」とか「逆向きの推理」という箇所があったと思ったからです。

しかし、シャーロッキアン(シャーロック・ホームズの愛好家とか研究者)とまではいきませんが、私もシャーロック・ホームズのファンです。

で、手元には『ホームズ探偵学序説』という本があります。

久々に手に取って読んでみると、『ホームズ探偵学序説』の中の引用に目的の個所がありました。

引用の引用になってしまいますが、また、長くなってしまいますが、『緋色の研究』からの引用です。
論理家は、たとえば一滴の水から、自分の見たことも聞いたこともない大西洋やナイアガラ瀑布の存在を推理しうる。同様に、人生もまた一本の大きな鎖であり、その本質はたった一個の環から知りうるのである。あらゆる学問と同様、「推理分析学」もまた長年の研鑽の末にはじめて習得しうるものであり、ましてやその完成の域に達するには、人生はあまりに短い。すべからく初心者は、きわめて多大なる困難をともなう倫理的精神的問題に取りかかるまえに、より基礎的な問題からマスターすべきである。たとえば他人に会ったら、ひと目でその人物の経歴や職業を見分けられるようにする。子供じみたことと思うかもしれないが、こうした訓練が観察力を鋭くし、どこを見、何を見るべきか教えてくれるのである。たとえば指の爪、上着の袖、靴、ズボンの膝、人差し指や親指のタコ、顔の表情、ワイシャツの袖口等々――いずれをとっても、その人の職業が端的に顔をのぞかせている。しかるべき観察者がこれらを総合すれば、必ずや何かわかるはずである。

『緋色の研究(A Study in Scarlet)』の中には、ホームズの雑誌記事「人生の書(The Book of
Life)」についての記載があり、上に引用した箇所は「人生の書」の一節。

あらためて読むと、やぶちゃんがヤブログ放送室や他のところで言っていることとリンクしていますね。

ホームズ物語をあらためて読みなおすと、いろいろな「わもんな言葉」がでてきそうです。

文庫本を実家においている理由は、WEB上にテキストがあるから。

しかし、WEB上のテキストは探し物には便利ですが、私は、読むのは本の方が好きです。

久々に正典を読みたくなりました。

《わもん黒帯:サノトモ》


Fw:わもんな言葉8−わもん聴覚《わもん黒帯: サノトモ》

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夕方にふと「言葉」というのは、「言」の「葉」だな、と思いつきました。

ということは、「言幹」とか「言根」とかもあってもいいんじゃないかとも。

しかし、そのような言葉はありません。

言いたいことの葉っぱが「言葉」とすれば、言いたいことの「幹」とか「根」とかもあっていいんじゃないかな、と思いを巡らしていると、「言いたいこと」を「植物」に例えているな、とあらためて気づきます。

私たちは何か植物を見るとき、その葉っぱの形状や色などから植物を見分けているように思います。

植物学的な分類方法は知りませんが、常緑樹や落葉樹とかは葉っぱがどうなるかという分類ですね。

銀杏や紅葉などは、葉っぱの形や色に特徴があります。

言葉もそのような傾向があるかもしれません。

その言葉を聞くことで、その人の特徴などを知る手掛かりになります。

しかし、それが全てではない。

植物も葉っぱだけではありませんし、人も言葉だけではありません。

こんなことをうつらうつらと考えていましたが、それほど深く考えることもなく、走りに出かけました。

走った後は、本屋さんへ行くのが習慣です。

何故かと言われても困りますが(^-^;)

で、本屋さんで本を眺めていると、沢庵禅師の『不動智神妙録』の文庫本を発見。

『不動智神妙録』は、沢庵禅師が柳生但馬守に剣禅一如を説いたもので、講談社学術文庫版の『五輪書』に、よく引用されていたものでしたので、買いです。

そして、読み進めていると、以下の文章に出くわしました(池田諭さんの訳です)。
 たとえば、一本の木を見ているとしましょう。そのなかの赤い葉一枚に心を止めて見れば、残りの葉は目に入らないものです。
葉の一枚一枚に目を止めずに、木の全体を何ということもなく見るなら、たくさんの葉が全部、目に入ります。
一枚の葉に心をとらえられれば残りの葉は見えません。一枚の葉に心をとらえられることがなければ、何千枚の葉だろうと、すっかり見えるのです。
数時間前に考えていたことが頭によぎり、心がとらえられてしまいました(^-^;)

「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、「言葉を聞いて心を聞かず」というフレーズが浮かびます。

書籍『わもん』の「『わもん聴覚』で聞く」の節に、以下の文章があります。
 たんに「耳で聞く」という意識で聞いていると、どうしても言葉にしばられやすくなります。そこで、「声なき声」をとりこぼすことなく受けとるために、「わもん聴覚」という発想転換をしてみるのです。「わもん聴覚で聞く」という気持ちになってみると、言葉のまわりにあるさまざまな情報を、もれなくつかみとる態勢ができてきます。
「わもん聴覚」の場合、「聞く」というよりも、「感じとる」「察する」に近い感覚です。

「声なき声」を聞くためには、一枚一枚の言葉に心を止めず、話し手の全体を聞くことです。

《わもん黒帯:サノトモ》





Fw:わもんな言葉7−わもん入ってる《わもん黒帯: サノトモ》

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内田樹先生の「直感と医療について」というブログ記事内に「私はなんとか武道論や身体論を学術的に基礎づけたいと思っているのである。」という言葉があり、内田先生がどのようなことを考えているのか気になりました。

内田先生のことは、恥ずかしながら、ツイッターでしか知らず、どこかの大学教授ということくらいしか知りませんでした。

さらに、内田先生のツイッターのアカウント名が「@levinassien」で、これを『リヴァイアサン』と読み違えていて、社会学とかその系統の教授だと勝手に思っておりました(^-^;)

で、冒頭のブログ記事が頭の片隅に残っていたためか、本日、本屋さんにフラッと立ち寄ったときに、内田先生の名前を見つけ、何か武道論や身体論のことが書かれた著作を読んでみようと思い、書棚を眺めて1冊を選びました。

『武道的思考』というタイトルの本です。

『身体で考える』という対談の本と迷いましたが、対談集よりは著作の方がいいかな、と。

早速読みはじめています。

まだ、途中までしか読んでいませんが、興味深く読めそうです。

「武道」の本旨を「人間の生きる知恵と力を高めること」とし、「人間の生きる知恵と力を開発する技術の体系」と捉えた上で、様々なよしなしごとが書かれています。

文章は、「家事について」という項の次の言葉。

剣と杖を振り続ける稽古について、「私」が「剣」を「揮っている」と、主語と他動詞と目的語の構文でこの動作を捉えている限りは苦役であるとして、

 私たちはそこに「私・剣複合体」が生成して、それが「動きたいように、動いている」という体感構造に身体の文法を書き換えるために稽古しているのである。

それが無意識のうちにできるようになれば、他のどのような「もの」と出会っても、私たちは一瞬のうちに、それと「溶け合って」、自在に動きたいように動くことができるようになるはずである。

「わもん入ってる」を思い浮かべました。

「わもん入ってる」は(おそらく)「intel入ってる」のもじりで、「intel」といえば、パソコンのCPU。

CPUは、「Central Processing Unit」の略で、「中央演算装置」などと訳されます。

「わもん」は「話す」と「聞く」で「わもん(話聞)」。

話すとき、聞くときのひとつの文法、演算装置です。

身体の文法を「わもん」という文法に置き換えるために、「聞く修行」が提唱されています。

「話し手」と「聞き手」という二元的な会話の技術ではなく、一元的な話聞一如の境地。

「道」を極めることは、同じような境地に行きつくのかもしれません。

ちなみに、内田先生のツイッターアカウントは「レヴィナシアン(@levinassien)」で、レヴィナスからきたものだと知りました。

奥付の著者プロフィールによると、専門はフランス現代思想、武道論、教育論。

しかし、「まえがき」では「本業は武道家」とのこと。

《わもん黒帯:サノトモ》



吉田昌郎氏( 福島第一原発前所長) 独占インタビュー映像世界初上映決定!

2012071914460000.jpg首都壊滅の危機!

日本の命運を左右した事故直後の対応

ともに死を覚悟した日々

福島の人達への思い

…赤裸々に

2012年 夏の文屋座in福島

地球を包む「わもん」の輪〜100年後のために、今わたしたちにできること〜

2012年8月11日(土)13:30〜17:30

会場:福島テルサ

入場料:5,000円

■お申込みはこちら






Fw:『幸せの法則』〜許すということ〜≪新生活・結婚・ガン・離婚≫《高橋茉希( たかはしまき) 》

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『幸せの法則』?許すということ?

◆相手の立場に立つ
◆未来を信じる
◆今を生きる
◆感謝する
◆手離す

≪新生活・結婚・ガン・離婚≫

私が、高校を卒業して母も私も就職先が決まったので8つ下の弟と3人で家をでました。
心穏やかな生活のスタートだっはずでしたが、1年半ほどして母の再婚が決まります。
穏やかな生活も一変・・・。気を使いながらの生活がスタートしました。

最初は戸惑いましたが、新しいお父さんは素晴らしい人で、母も、弟も、祖母も大切にしてくれましたね。
私とは、飲み友達のような関係で、一緒に晩酌するのが楽しくて仕方がありませんでした。
14年前に他界しましたが、今も生きていたら、毎晩一緒に飲んでいたんだろうな。
幸せな思い出をたくさんくれた父にはとっても感謝しています。

就職先では、同期にもめぐまれて、充実した社会人生活をおくることができましたね。
一緒に旅行へいったり、スキーやキャンプ、バーベキュー♪ワクワクする日々でした。
その後、働き始めて6年位したころ、どうしても人と接する仕事したくなり、転職を決意!
正社員で働く前に色んな職種を体験したいなと思い、軽い気持ちで始めたテーマパークでのアルバイトでしたが、この時の決断が、その後の人生を大きく左右するとは思ってもみませんでした。

そして、27歳の時に結婚、28歳の時に発病。
結婚後半年の出来事でした。子供もいませんでしたし、直ぐに離婚を考えましたが当初は相手の方も支えになると言ってくれたので、一緒に戦うことを決めました。

最初に、気になって検査した病院で「問題なし」と告げられて、帰宅。
安心したのもつかの間。数日して結果に誤りがあるので再来して欲しいと電話が・・・。
大きな病院へいって検査を勧められました。
丁度、この病気の専門家が知り合いにいたのでその方を信じて検査をしてもらいます。
結果は恐らく「黒でしょう」と言われましたがセカンドオピニオンで県立がんセンターへもいくことにしました。
県立がんセンターでは、衝撃的な体験をしました。
カルテに目を通した医師が、最初に私にかけた言葉を今もハッキリ覚えています。

「どうして僕のところに来たの?この程度なら10年くらい医師経験のある盲腸の手術ができる医者なら手術できるよ」
当時、その病気の手術では名の通った先生でしたから正直かなり驚きました。
先生は、大したことないよと言うつもりだったのかも知れませんが、切羽詰っている私にはくみ取ることができず、「で、どうしたいわけ?」と言われて、とても診察してくれそうな雰囲気ではなかったのでそのまま病院を後にするしかありませんでした。

そして、元の病院へ戻り、更に詳しい検査が必要だといわれて組織検査。
この、手術後が大変でした。
先生は「そのうち体に吸収されて腫れもひくから大丈夫だよ」そんな風にいっていましたが
患部は腫れ上がり熱をもち痛みも強くてまったく改善しない。
そこで、違う県立がんセンターへ移ることにしたのですが

先生の最初の一言は

「あら?痛いねかわいそうに・・・痛かったねこれは・・・よく頑張ったね」

ここで、我慢していた感情が一気にあふれ出し、初めて涙を流しました。
本当はとっても痛かったし、不安だったからです。

そして、現状は私が前院で聞いたこととは違い血腫が酷くて原発巣からの広がりが分からなくなってしまっていることを知ります。
結局、病巣だったであろう付近を、全摘出手術しなければならなくなってしまいました。

最初の手術で、次の手術の選択肢がなくなってしまったことは、私にとって非常に辛く苦しいことでしたが命と術式の選択ですから仕方がありませんでしたね。

術後の病理検査で詳しい病状も明らかになりました。

早期発見ではないこと、若年性であることから再発のリスクが高いこと
5年後の生存率は若年性のため60?70%程度であることを告げられました。
先生の表情や言葉から死を覚悟しましたね。

入院中の病室では、当時とても珍しい若年性のがんだった為、好奇の目でみられるだけではなく、あれこれ聞いてくる方もいました。

「ステージは?」「結婚しているの?」「お子さんは?」「先生は誰?」「術式は?」中には「それは、私と同じだから5年後には必ず再発するわよ?」なんていう方までいました。
「なんて酷いことをいう人がいるのだろう」驚きにプラスして悲しい気持ちになりましたが、今、思い返すとその方も不安で誰かと同じであることに安心感を求めたかったのかな?
そんな風にも思えます。

退院後は、投薬治療がしばらく続き、日常生活の中でできなくなってしまったことが増えていました。
心中は辛くて苦しくてでも、周りには知られたくなくて。
とにかく明るく元気に振る舞おうとしていました頑固ですね(笑)

でも、1年後位かな?やっと思えたんです。
残された人生が短いとするならば、その時間を笑って顔を上げて生きていきたい。
できないことを嘆いて生きるよりも、できることに喜びを見出して生きていこうって。

そこから私の目標はテーマパークへの職場復帰です。

現実を考えると病院で「やってはいけない」といわれていることばかりの仕事でしたが、
チャレンジしてみてダメだったら違う道を探せばいい!(元職場のみなさん、ごめんなさい)
とにかく戻りたい一心で治療とリハビリをしましたね。

術後2年半で無事に職場復帰。今は発病から12年経ちました!
元気にすごせています。これも病院のみなさんと支えてくれた家族のおかげです。
心から感謝しています♪

こう振り返ると、最初の手術がなかったら現在の担当医にもめぐり合うことができなかった訳ですからすべては、必然なんですよね。

長くなってしまいましたね。
今回も拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございます。

ご縁に感謝と愛をこめて☆茉希拝☆


Fw:井戸端わもん高知《たから特派員》

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【2012/7/26 高知2DAYS】

身近な事例の『あるある』から学ぶことが多い井戸端わもん。

今回は、(私)たからちゃんがスベった聞き方の事例がテキストになりました。

役立って良かったやら、恥ずかしいやら…。

まっ…皆さんの気付きにつながれば(>_<)苦笑…。

《たから特派員》